櫛田栄清(読み)くしだ えいせい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「櫛田栄清」の解説

櫛田栄清 くしだ-えいせい

1845-1905 幕末-明治時代箏曲(そうきょく)家。
弘化(こうか)2年5月21日生まれ。江戸の人。安政5年山田流箏曲家山多喜松調検校に師事。2代山多喜松調をへて明治24年ごろ櫛田栄清と改名三味線をよくし,山登万和(やまと-まんわ)と「神遊」を合作した。明治38年1月11日死去。61歳。本姓和田

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の櫛田栄清の言及

【山勢派】より

…門下に,山喜田(山千代)翠風一検校,山谷清風一検校などがあり,その他本来は山木派の山多喜(山田喜・山滝)栄松一検校(後名松調)も山勢に師事したといわれる。その門から高橋栄清の師の櫛田栄清が出た。 2世山勢(1812‐68∥文化9‐明治1)は,糸魚川の杉本茂右衛門の長男。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」