ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山登万和」の意味・わかりやすい解説
山登万和
やまとまんわ
[没]1903.5.23. 東京
山田流箏曲家,作曲家。本姓大須賀。都名(いちな)は万和一。幼時に失明し,2世山勢検校に師事する。明治2(1869)年検校となる。2世山登検校没後,3世山登継承前の頃山登を名のるが,山登派の家元の代数には数えられない。山登派の 3世家元山登松齢を市谷合羽坂に住んでいたことから「合羽坂の山登」と呼んだのに対し,本郷天神町に住んでいたので「天神町の山登」と呼ばれた。松齢とともに音楽取調掛に出勤して 1世山勢松韻の仕事を手伝っている。御歌所(→和歌所)寄人であった中村秋香と協力して,箏曲の江戸趣味的な歌詞を改めたり(替歌),新曲の創作に努めた。流祖山田検校の墓が荒廃していたので修復し,新曲ができるとその墓前に奉げてから公にしたという。1902年自作を中心として,山田検校の 3作品に対する中村秋香の替歌を含む『山登作曲箏歌集』を刊行した。作品に『四季の詠』(→四季の眺),『菊水』『松上の鶴』『近江八景』『須磨の嵐』などがある。
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