沖浜(読み)おきのはま

日本歴史地名大系 「沖浜」の解説

沖浜
おきのはま

別府湾に注ぐ大分川の河口部、現在の西大分・五号埋立地(豊海一―四丁目など)・四号埋立地(西ノ洲)辺りに存在したと思われる。弘治元年(一五五五)に来豊し、同三年帰国した中国人鄭舜功が著した「日本一鑑」に「次曰澳浜烏気法邁」とみえる。港は浅くて船底がつかえ、繋泊には堪えないとあり、府内までは陸行でおよそ五、六里であった。リャンポ「日本航海路程記」には、「この低地の端に冷涼な水の一河川があって、その河口は満潮のとき十二尋になる。干潮のときには船は皆帆を下して停る。この底は砂である。その河の錨地に接続してアキナファマという住民の多い一部落がある。河沿いに国内半レグアにして豊後国最大にして且つ最も勢力ある都市」すなわち府内があると記され、沖浜から府内まで三―四キロとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の沖浜の言及

【海岸】より

…海岸は,海岸線(広義)より海側の陸地(海浜)を限定して指す場合と,海浜とその背後の海食崖,砂丘,潟,湿地など,海の作用が影響する陸地を広く指す場合とがある。汀線より海側は,陸に近づいてくる波浪が砕ける地帯(砕波帯)を境界にして,汀線から砕波帯までの外浜(または沿岸帯)と砕波帯より沖合の沖浜とに区分される。
[海岸に働く自然の作用]
 最も基本的な外力(陸地の表面から作用する営力)は波浪である。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」