熊沢寛道(読み)くまざわひろみち

改訂新版 世界大百科事典 「熊沢寛道」の意味・わかりやすい解説

熊沢寛道 (くまざわひろみち)
生没年:1888-1966(明治21-昭和41)

終戦直後,南朝後醍醐天皇の後裔(こうえい)と称し,皇統123代正照王熊沢天皇を名のった人物。みずから南朝直系の皇位継承者であることを主張しつづけたが,1951年1月東京地裁に提訴した〈現天皇不適格確認〉の訴訟が却下されたのを境に,世間から完全に忘れ去られ,78歳をもって生涯を閉じた。葬儀官憲に妨害されるなど,後半生最後まで波乱つづきだった。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「熊沢寛道」の解説

熊沢寛道 くまざわ-ひろみち

1889-1966 昭和時代自称「皇統継承者」。
明治22年12月18日生まれ。洋品雑貨商。昭和20年GHQに自分こそ南朝正統の皇孫であると名のりでて一躍脚光をあび,「熊沢天皇」とよばれた。26年「現天皇不適格確認」を提訴し,却下される。昭和41年6月11日死去。76歳。愛知県出身。著作に「南朝と足利天皇血統秘史」。

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世界大百科事典(旧版)内の熊沢寛道の言及

【熊沢天皇】より

…第2次大戦後,南朝の正統な皇統の継承者と名乗り出た熊沢寛道(1889‐1966)の通称。1946年(昭和21)1月18日,GHQは名古屋市千種区で雑貨商を営む熊沢寛道が後亀山天皇第19代正統者と名乗り出たことを発表した。…

※「熊沢寛道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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