藤原資頼(読み)ふじわらの すけより

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原資頼」の解説

藤原資頼 ふじわらの-すけより

1148-? 平安後期-鎌倉時代公卿(くぎょう)。
久安4年生まれ。参議藤原頼定の子。母は祝部成仲(はふりべの-なりなか)の娘。丹波守(たんばのかみ),後白河院院司,信濃(しなのの)守などを歴任し,元久元年皇太后宮権(ごんの)大夫,承元(じょうげん)4年従三位。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤原資頼の言及

【伯耆国】より

…歴代国司のうちには万葉歌人山上憶良がおり,《小右記》の筆者藤原実資の猶子資頼(すけより)もその一人であった。藤原資頼は1023年(治安3)落書(らくしよ),投文(なげぶみ)などによって窮地に立たされたが,これは伯耆国における国司苛政上訴闘争の一つとして位置づけられるものである。
【中世】
 11~12世紀の中世的な郡郷制と中世荘園制支配体制の成立を中世の画期とすることができる。…

※「藤原資頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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