賀茂能久(読み)かもの よしひさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賀茂能久」の解説

賀茂能久 かもの-よしひさ

1171-1223 鎌倉時代の神職
承安(じょうあん)元年生まれ。賀茂資保の子。上賀茂神社の権禰宜(ごんのねぎ)から建保(けんぽ)2年(1214)神主職となる。後鳥羽(ごとば)上皇近臣で,承久(じょうきゅう)の乱では幕府軍とたたかった。このため六波羅(ろくはら)に捕らえられ,太宰府流罪となった。貞応(じょうおう)2年6月10日死去。53歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の賀茂能久の言及

【賀茂別雷神社】より

…810年(弘仁1)には斎院をおき,嵯峨天皇皇女有智子内親王を斎王として祭りに奉仕させるようになって朝廷祭祀としての形をととのえ,伊勢神宮につぐ尊崇をうけた。後鳥羽上皇のとき,神主賀茂能久が承久の乱に上皇方について参戦し,斎院もこのとき廃絶した。社領としては大化のころ封戸14戸,神田1町8反が寄せられたと伝えられるが,785年(延暦4)には愛宕郡内の封戸10戸が,865年(貞観7)には山城国の神田5反が,940年(天慶3)には封戸10戸が寄せられた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」