高槻城(読み)たかつきじょう

日本の城がわかる事典 「高槻城」の解説

たかつきじょう【高槻城】

大阪府高槻市城内町にあった平城(ひらじろ)。安土桃山時代に高山右近(うこん)が居城。入江城とも呼ばれる。平安時代に築城されたといわれるが、室町時代は足利尊氏の命でこの地を領した入江氏の居城だった。1569年(永禄12)に入江氏は織田信長に滅ぼされ、和田惟政(これまさ)に与えられた。1571年(元亀2)白井河原の合戦で惟政は戦死し、子の惟長が継いだが、配下の高山右近父子に城を追われ、高山氏が城主となった。キリシタン大名として有名な高山右近は1585年(天正13)に播磨(兵庫県)船上城(ふなげじょう)に転封となり、右近のあと、新庄・青山・内藤・米沢・喜多・彦阪・山田・土岐松平岡部と、城主はめまぐるしく交代した。1649年(慶安2)に永井直清(なおきよ)が入城、以来約220年、永井氏が在城して明治維新にいたった。かつては東西700m、南北800mの城域に3層の天守をはじめ各曲輪(くるわ)があったが、破壊された。唯一、城址公園近くの本行寺に城門が移築されている。現在、城域の一部が城址公園として整備され、復元石垣、高山右近像がある。JR東海道本線高槻駅または阪急電鉄京都線高槻市駅から徒歩10分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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