翻訳|rationalism
現在ふつう〈合理主義〉というと近代合理主義のことだけを考えがちだが,もともと合理主義とは一般に〈理性(ロゴス,ラティオ)〉にのっとった考え方,生き方,世界のとらえ方を意味する。だから,理性にさまざまなものがあれば,合理主義にもさまざまなものがあることになる。
理性という観念が初めに自覚されたのは,前5世紀ごろのギリシアにおいてである。ここに〈ロゴスを働かす〉こと,つまりわれわれをとりまく現実のうちから多様な物事を〈集め〉〈比量し〉〈秩序立てる〉ことをとおして普遍的なものや高次の統一性がめざされる。〈哲学〉が生まれたのはそういう欲求のなかからであり,したがって哲学の核心には初めからそうした理性的認識があった。やがてこの理性的認識は自然に対してだけではなく,人間自身に対しても向けられるようになる。またそうした展開に応じて,比量的な理性だけでなく,直観的理性や思慮(プロネシス)があらわれることになる。
西洋の中世はカトリック信仰が支配した時代であったが,その信仰はギリシア哲学(とくにアリストテレス)を媒介に神学として高度に理論化されていたから,そこにも一種の理性の立場が貫かれていた。それはギリシアの直観的理性が〈神的理性〉としてとらえなおされたものであり,そこでは人間の自然的理性は比量的理性として,超自然界を律する神的理性に従属するものとされた。そのような基本的構図のもとに複雑に体系化されたスコラの合理主義は,〈煩瑣主義〉の名で呼ばれる悪しき言語主義に陥りやすかった。しかし,これも,神学的合理主義のロゴス=ことばの側面がマイナスに表れた結果であった。
近代合理主義は,神的理性からの自然的理性の独立・自立としてあらわれ,市民階級の興隆や自然科学の発達などの動きと結びつき,それらを通してしだいに推し進められていく。その過程で決定的な段階を画したのは,デカルトの哲学であった。それによって人間的理性=自然的理性は,初めて他のなにものにも拠らず,自己を根拠づけうるようになったからである。デカルトは,〈コギト(われ思う)〉から出発して,〈良識=理性〉に基礎をおきつつ,思考を本質とする精神と,空間的な広がりをもつことを本質とする物体とを,二つの自立的な実体として明確に区別した。これは近代の初めにあって実に大きな意味をもつ企てであった。というのは,その結果,一方では自然界の対象化や自然界への数学的合理性の適用--つまり自然の科学的・数量的把握--が可能になるとともに,他方では人間精神の主体性と自由が保証されるようになったからである。つまり,この精神と物体の二元論的な峻別は,それぞれの領域を固有の原理によって支配されるところにしたのであった。こうして,デカルトの二元論的な合理主義は,自我の自由と近代科学を生み,近代西洋を貫く原理になった。また思想,政治,科学,技術などの広い分野にわたって大きな革新をもたらし,西洋の近代を人類史上特別なものにした。
デカルトの合理論哲学は,精神と物体(身体)の統一の問題を後代に残したが,その問題とともにここに新しく,科学的理性の有効範囲が問われ,形式的な理性にいかに内容をもたせるかが問われるようになる。18世紀の啓蒙主義のあとをうけて,カントが経験論の考え方をもとり入れて,新しい理性による古い理性の批判・克服を企てたのは,そういう問いに答えるためであった。そして彼は理性批判を通して,当時すでに事実として確立していたニュートン物理学の権利根拠を確定するとともに,科学的認識の対象を現象だけに限った。その上で,理性の領域を因果性を超えたところにもみとめた。ところが,カントのこのような立場の赴くところ,純粋理性の〈二律背反〉という難題に突き当たらざるをえなかった。ヘーゲルの弁証法的理性はそれを解決するために現れたともいえる。ヘーゲルでは理性に動的性格が与えられ,哲学の歴史を中心に人類のすべての歴史は,最高の理性(〈絶対知〉)の自己展開であるとされた。ここに歴史の発展を理性的=弁証法的にとらえる道が開かれたのである。マルクスの弁証法的唯物論による歴史の法則的把握も,サルトルのそれに対する実存主義的な補強も,その発展上に現れたものである。
上述の,合理主義の形式化と内容の回復という問題は,非合理主義irrationalismの問題ともかかわらせてもっと広くとらえなおすと,イメージ(イメージ的全体性)の追放と回復の問題になる。デカルトの合理論哲学は,明証性を真理の基準として,疑わしいものをすべて排除していった。そのとき感覚とともにやり玉にあげられたのは,想像力でありイメージであった。イメージとは,ふつう心像や形象とだけ考えられているが,実は,生きられた身体的なものであり,世界にかかわるコスモロジカルなものであった。だから,イメージの追放は,生きられた身体的なものやコスモロジカルなものの排除にまで及ぶ。このように見てくると,合理主義の形式化=概念化の傾向が強まるとき,どうして,それに反対して神秘主義やロマン主義などの非合理主義が現れるのかがわかる。神秘主義やロマン主義とはイメージの絶対化であるからだ。他方,イメージの回復は,近・現代の哲学や大理論によってさまざまなかたちで企てられる。たとえばライプニッツのモナド(単子)論もカントの構想力や図式論も,ヘーゲルやマルクスの弁証法も,フロイトの象徴解読やゲシュタルト心理学も,さらにはM.ウェーバーの理念型も,構造主義も,みなそれぞれに--概念の厳密化を保ちながら--イメージ的全体性を回復しようとする努力の表れであった。
近年,近代合理主義の行きづまりが叫ばれているなかで,言語(自然言語)の問題が大きくクローズアップされるようになった。これは西洋の文化や学問のなかで,言語にかかわるレトリック(修辞学)が論理学や哲学と別個の流れをなし,むしろそれらと対立していたことを思えば,また科学哲学の言語論が多義的な自然言語を排して言語の〈論理〉化をはかってきたことを思えば,新しい事態である。しかし〈ロゴス〉とはもともと理性や論理であるとともにことばのことでもあったのだから,合理主義が言語とふたたび結びついても決して理にかなわないことではない。それに人間の言語は,本質的にそのうちに〈概念〉とともに〈イメージ〉を含み,両者の不可分な結びつきから成り立っている。だから,前述の形式化=概念化した合理主義のイメージ性回復の動向は,おのずと言語モデルの重要性を示している。また新しい人間科学は言語のしくみから多くを学びつつ現実を立ち入ってとらえてきている。そのことは精神医学,文化人類学,記号論などの新展開のうちにうかがえる。
合理主義は本来--あるいはその徹底したかたちでは--理性の自律的な体系である。その上理性とは真を偽から区別する能力を指すから,普遍的な真理の体系として自己を絶対化しやすい。それゆえ心にとめておくべきことが二つある。一つは,理性が体系や秩序を生むだけでなく(たとえば〈国家理性〉の語が示すように),秩序が一種の理性(判断の基準)を生み出すことがあることである。もう一つは,合理主義が真理をめざす体系であるとしても,その真理への意志とは,真理を欲望から解放するものでなくそれ自体が一つの欲望なのだということである。
→理性
執筆者:中村 雄二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
非合理的、偶然的なものを排し、理性的、論理的、必然的なものを尊重する立場。合理論、理性論、理性主義などともいう。実践的規準として、理性的原理だけを尊重する生活態度をさしていうこともある。形而上(けいじじょう)学的には、理性や論理が世界をくまなく支配していて、この世に存在理由をもたないものはなにもありえないという説で、ギリシア古典期の観想的理性主義の哲学がその代表である。神学的には、信仰の真理を恩寵(おんちょう)の光に照らして啓示的に知るだけでなく、可能な限り自然の光によって理性的に認識しようとする立場をいう。
[伊藤勝彦]
近代合理主義の父とよばれるのが17世紀のデカルトである。彼は物理学に数学的解法を適用する理論的研究の成功に力を得て、この物理・数学的方法を一般化し、あらゆる学問に通じる普遍的方法の理念に到達した。つまり、「普遍数学」の構想がそれで、この考えが確立するとともに、宇宙を支配している数量的関係をつきとめることが自然研究の唯一の課題となる。物体の運動変化はまったく数量的に把握され、可能態から現実態への移行としてこれを説明するアリストテレスやスコラ哲学の方式は当然否定される。数学的合理性の観念が確立され、自然のできごと全体を必然的な因果の連鎖でとらえ尽くすことができると考えられるようになる。こうして、自然の世界全体が因果の法則に従った一つの巨大なメカニズムであるとみなすところの、いわゆる機械論的自然観が成立することとなる。
世界の機械論化が徹底して推し進められると同時に、人間の精神は世界から独立した知的主体として確立される。ハイデッガーのいうように、「人間が主体になった」ということが近代におけるもっとも重要な変化であった。しかも、このような変化は17世紀という一時代に起きたことであった。「知は力である」といったのはフランシス・ベーコンであったが、科学による自然支配が実現されるためには、まずもって人間が知的主体として世界に対して君臨することが必要であった。自然的世界の合理的把握、つまりその徹底した機械論化は、このような、世界とは独立な主体によってのみ可能であったのである。
[伊藤勝彦]
デカルトの思想は、スピノザ、ライプニッツ、ボルフChristian Wolff(1679―1754)などの、いわゆる大陸合理論にとくに大きな影響を与えた。彼らに共通する性格は、数学的方法に対する絶対的信頼ということであった。スピノザはデカルトの考えを受け継ぎ、幾何学的方法を哲学に応用して、哲学を厳密な論証的学問にしようとした。ライプニッツは数学的記号を使って、もっとも単純な真理からすべての真理を演算的に演繹(えんえき)しようとする「結合術」を考え出した。
合理論はとりわけ、認識の起源を問題にする認識論的見地から、経験論に対立する。すなわち、すべての認識は経験から生ずるとなす経験論に対し、合理論は、すべての確実な認識は生得的で、明証的な原理に由来するという立場にたつ。経験論は個々の感覚的印象から出発するが、合理論は一般概念と悟性の根本原理から出発し、感覚的経験を混乱したものとして軽視する。方法としては、経験論が観察と帰納的方法を重んじるのに対し、合理論は演繹的方法を重んじる。一般的傾向としては確かにこういう違いが認められるが、デカルトは大陸合理論にのみ影響を与えたわけではない。イギリスのホッブズやロックにも大きな影響を与えた。いや、それどころか、ほとんどの近代思想家がデカルトの精神を分有している。人間の理性能力としての「良識はこの世でもっとも公平に配分されているものである」という、デカルトの『方法序説』冒頭のことばは、近代精神を鼓舞し続けてきた。そういう最広義の意味では、デカルトの合理主義は近代ヨーロッパの思想的源泉であるということができるであろう。
[伊藤勝彦]
『伊藤勝彦編『思想史』(1972・新曜社)』▽『伊藤勝彦著『デカルトの人間像』(1970・勁草書房)』▽『カッシラー著、中野好之訳『啓蒙主義の哲学』(1962・紀伊國屋書店)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…西欧文化と近代社会を貫く原理を〈合理主義Rationalismus〉に求め,その系譜,本質,帰結を解明したドイツの思想家。エルフルトに生まれ,まもなくベルリンに移った彼は,国民自由党の代議士として活躍した父,敬虔なプロテスタントで教育熱心な母の長男として,経済的にも文化的にも恵まれた家庭に育った。…
…資本主義の経済活動は,法律体系,道徳規範,政府の活動,生活慣習,価値体系といった社会の制度装置を前提として行われる。
【資本主義的活動の特徴】
[営利主義と合理主義]
資本主義的活動の特徴は営利主義と合理主義にある。営利主義とは,利潤のために利潤を追求する営利至上の態度のことである。…
※「合理主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新