アフリカ首脳会議(読み)アフリカしゅのうかいぎ(その他表記)Summit Conference of African States

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アフリカ首脳会議」の意味・わかりやすい解説

アフリカ首脳会議
アフリカしゅのうかいぎ
Summit Conference of African States

1963年5月にアジスアベバで開かれた事実上最初の独立アフリカ諸国の首脳会議。ここでアフリカ統一機構 OAUの設立が取決められた。一挙に 17の独立国が誕生したため「アフリカの年」と呼ばれた 60年を境にアフリカは大きく変り,独立国は 93年には 53ヵ国を数え,国連総会でも全議席の約3分の1を占める最大の地域グループとなった。しかし,必ずしも固い結束を保ってきたわけではなく,旧フランス領アフリカ諸国による親西欧的なブラザビル・グループ (のちにモンロビア・グループに発展) と,ガーナ,ギニア,マリなどの急進諸国によるカサブランカ・グループとに分れ,コンゴ動乱やアルジェリア独立戦争支援の問題をめぐって対立していた。しかし,それらの戦争が終りを告げたことからようやく全アフリカ諸国の統一機関をつくろうという機運が高まり,63年5月エチオピアに 31ヵ国の首脳が集り,アフリカ統一機構憲章を採択した。

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