日本大百科全書(ニッポニカ) 「アブハジア紛争」の意味・わかりやすい解説
アブハジア紛争
あぶはじあふんそう
ジョージア(グルジア)からの独立を求めるアブハジア自治共和国の、スフーミ事件を発端とする紛争。ソ連時代、アブハジアのアブハズ人の比率は、ジョージア人、ロシア人の増加によって1926年の27.8%から1989年の17.8%へと低下した。このような状況に対するアブハジ人の危機感が紛争の背景にある。
ジョージアは1991年4月9日ソ連からの独立を宣言し、5月ガムサフルディアZviad Gamsakhurdia(1939―1993)が大統領に選出された。しかし野党が1992年1月に軍事評議会樹立を発表すると、大統領は国外に脱出し、元ソ連外相シェワルナゼが3月に国家評議会議長、10月に最高会議議長に選出され、1995年11月の選挙で大統領となった。この間の1993年10月に独立国家共同体(CIS)に加盟し、1995年10月にはロシア軍基地条約に調印した。
このようなジョージア情勢のなか、アブハジアでは1989年7月、アブハズ人とジョージア人の12人の犠牲者を出したスフーミでの衝突をきっかけに、ジョージアからの離脱運動が強まり、1992年7月23日に主権が宣言された。ジョージア政府はただちにその無効を表明し、8月にはスフーミに派兵したが、アブハジア側は北カフカスからチェチェン人など数千人の義勇兵を集めて抵抗した。
1993年5月にアブハジア、ジョージア、ロシア間で話し合いが始まり、1994年5月15日に停戦の合意が成立し、国連の平和維持軍がその監視にあたっている。アブハジアは、1999年10月に住民投票で憲法を制定し、改めて公式に独立を宣言した。ジョージアでは2003年11月にシュワルナゼ大統領が辞任、翌2004年サアカシビリMikhail Saakashvili(1967― )が大統領となり、2006年7月にはアブハジアを軍事攻撃した。ロシアのメドベージェフ大統領は、2008年8月26日にアブハジアおよび南オセチアの、ジョージアからの独立を承認したが、これに対しジョージアは8月29日にロシアとの外交関係を断絶する。ロシアは2010年2月にアブハジアとロシア軍の基地設置などの合意協定に署名した。
アブハジアでは、アブハズ人の比率は44%(2003年)に増加しているようであるが、多くのジョージア人が難民化しており、またロシア以外でアブハジアの独立を承認している国は少ない。
[木村英亮]