ジョージア(グルジア)北部、大カフカス山脈の南側に位置する地方。ソ連の国家構造ではジョージア共和国に属するユーゴ・オセチア自治州Юго-Осетинская Автономная Область/Yugo-Osetinskaya Avtonomnaya Oblast'(1922年創設)とされていたが、ソ連崩壊(1991年12月)後、ジョージア政府は自治権を認めていない。面積3900平方キロメートル、人口9万9000(1991)。中心都市はツヒンバリЦхинвали/Tshinvali(1934~1961年はスタリニリСталинири/Staliniriと称した。人口4万2600、1991)。
[上野俊彦]
南オセチアの領域は大カフカス山脈南側斜面を占め、北はロシアとの国境となっており、国境をはさんでロシア連邦に属する北オセチア共和国と接する。平均気温は、平地で1月零下2℃、7月20℃、山地で1月零下6℃、7月13℃。年降水量は平地で500ミリメートル、山地で1000ミリメートル。
南オセチアのおもな産業は、鉱工業が非鉄金属の採掘、ほかに食品加工、軽工業、木材加工、機械工業など。農業では、穀物(小麦、トウモロコシ、大麦)、ジャガイモ、野菜、サトウダイコン(テンサイ)、果樹、ブドウの栽培、ヒツジの放牧などが行われている。ツヒンバリには、電気機器、金属加工、軽工業、食品加工などの工場がある。
[上野俊彦]
南オセチアの住民構成は、オセット人(オセチア人)が66.2%を占め、ほかにジョージア人などがいる。南オセチアに居住するオセット人の間では、1980年代末ごろから、ジョージアから分離してロシア領北オセチアとの統一を目ざす動きが顕著になったが、ジョージア人は強く反対していた。1990年秋のジョージア人警官殺害事件をきっかけに、ジョージアと南オセチアとの対立が激化、南オセチア自治州最高会議が「南オセチア・ソビエト共和国」を宣言する一方、ジョージア最高会議は南オセチア自治州の廃止と非常事態導入でこれに対抗し、内戦状態に突入、南オセチア紛争が発生した。他方、1991年4月にガムサフルディアZviad Gamsakhurdia(1939―1993)がジョージア大統領に選出された後、ジョージア本国のソ連邦からの独立の動きが活発化するなか、ソ連内務省は南オセチアに軍事介入することによってジョージア本国を牽制(けんせい)する動きに出たため、事態はいっそう紛糾した。1992年1月、反ガムサフルディア派による軍事クーデターによってガムサフルディア政権が打倒され、その後に成立したシェワルナゼ政権は、同年4月南オセチアと休戦協定を締結、ロシア、ジョージア、北オセチアの3部隊による停戦監視体制がつくられた。
[上野俊彦]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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