改訂新版 世界大百科事典 「アミーンアルフサイニー」の意味・わかりやすい解説
アミーン・アルフサイニー
Amīn al-Ḥusaynī
生没年:1896-1974
パレスティナ・アラブの政治指導者。エルサレムの名門の生れ。エルサレムのユダヤ教学校,カイロのアズハル学院,イスタンブールの法律学校に学び,第1次世界大戦下アラブ反乱に参加した。1920年のエルサレムの大衆デモで逮捕されたが,イギリス当局の介入で許され,21年エルサレムのムフティーとなり,22年にはパレスティナのワクフ管理の権限をもつムスリム最高会議議長に就任。29年の嘆きの壁事件で激化したユダヤ人移民との紛争で,宗教的対立を扇動し,ユダヤ人入植者の武装活動をも刺激した。30年イスラム世界会議の議長となり,パン・イスラム主義の活動にも熱中した。36年反乱では,アラブ高等委員会議長としてパレスティナ・アラブの全国的闘争を指導したが,37年イギリスの圧力でムスリム最高会議から追われ,シリアを経てイラクに亡命。同地でラシード・アリーの率いる反英反乱に協力したが,反乱失敗後,ドイツに亡命,ナチスの宣伝活動に協力した。第2次世界大戦後はパリを経てカイロに戦犯追及の手を逃れ,ムスリム同胞団にも接近したが,戦後のパレスティナ問題の展開の中では,政治的指導力を完全に失い,ベイルート郊外に隠棲して没した。
執筆者:林 武
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