アラービーパシャ(読み)あらーびーぱしゃ(英語表記)Amad ‘Arābī Pasha

デジタル大辞泉 「アラービーパシャ」の意味・読み・例文・類語

アラービー‐パシャ(Aḥmad ‘Arābī Pasha)

[1841~1911]エジプト軍人民族運動指導者。ヨーロッパ列強による内政干渉に抵抗する国民運動を指導し、1882年に武力蜂起したが、英軍に鎮圧され、セイロンに流刑された。アフマド=アラービー。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アラービーパシャ」の意味・わかりやすい解説

アラービー・パシャ
あらーびーぱしゃ
Amad ‘Arābī Pasha
(1841―1911)

エジプトの軍人、民族主義者。下エジプト、デルタ地方の村落有力者の家系に生まれる。1854年入隊、1858年将校となる。1879年大佐に昇進するが、同年、それまでに組織したエジプト人将校の秘密結社を核に国民党(アル・ヒズブ・アル・ワタニー)を結成した。1876年以降の英仏によるエジプト財政の国際管理、英仏人大臣を含む内閣組閣など、西欧列強の国内干渉が強まるなかで、「エジプト人のためのエジプト」を主張し、立憲君主政体を要求する近代エジプト最初の民族主義運動(1879~1882)の指導者として、1882年には軍事大臣にまでなった。同年、武力蜂起(ほうき)したが、イギリスの武力介入によって鎮圧され、以後エジプトはイギリスの単独支配下に置かれた。

加藤 博]

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旺文社世界史事典 三訂版 「アラービーパシャ」の解説

アラービー=パシャ
‘Arābī Pasha

1839〜1911
エジプトの民族独立運動の指導者。エジプト独立運動の父といわれる
農家の生まれ。軍人となり,早くから反トルコ秘密結社に加わった。1870年代にイギリス・フランスがエジプトに進出すると,強硬な対外政策を主張した。1881年蜂起の中心となり,翌年陸軍大臣となったが,イギリス・フランスが辞任を要求したため,民族運動が勃発した。イギリス軍が海陸から進撃して全土を数週間で征服すると,捕らえられてセイロン(スリランカ)に流された。1901年に許されて帰国

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改訂新版 世界大百科事典 「アラービーパシャ」の意味・わかりやすい解説

アラービー・パシャ
`Arābī Pasha

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百科事典マイペディア 「アラービーパシャ」の意味・わかりやすい解説

アラービー・パシャ

アフマド・アラービー

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世界大百科事典(旧版)内のアラービーパシャの言及

【アフマド・アラービー】より

…エジプトの軍人。アラービー・パシャ‘Arābī Pashaとも呼ばれる。下エジプト地方シャルキーヤ県ハッリーヤ・ラズナ村の有力者の息子として生まれ,1854年入隊,58年将校となった。…

※「アラービーパシャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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