アルジェ占領(読み)あるじぇせんりょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルジェ占領」の意味・わかりやすい解説

アルジェ占領
あるじぇせんりょう

1830年フランスがアルジェを占領し、アルジェリアを植民地化する契機となった事件。アルジェ占領の直接の原因は、当時オスマン帝国のもとでアルジェリアの実質的な支配者(デイ)であったフサインと、フランスの駐アルジェ領事とのいさかいであるといわれている。フランス軍は1830年6月アルジェ近郊の海岸に上陸を開始し、同年7月にフサイン軍を降伏させた。さらに、ボーヌ(現アンナバ)、オランなど地中海沿岸の主要都市を占領した。アルジェリア側は、当初、アブデル・カーデルなどが執拗(しつよう)な抵抗を試みたが、強大なフランス軍に対して結局敗退した。そしてフランスは、以後132年間にわたって、アルジェリアを植民地として支配することになった。

 アルジェ占領は、16世紀以来、世界史における新たな勢力として登場したヨーロッパ世界の、他の地域に対する政治的、軍事的支配過程の延長であった。またフランスは、アルジェリアを根拠地として、チュニジアモロッコの支配を図り、マグレブ地方全体の植民地化を実現した。さらにスペインとイタリアによる北アフリカ侵略を促進した。

[勝俣 誠]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む