イギリスの政治家。19世紀中葉のイギリス自由主義外交の指導者として知られる。アイルランド貴族の家に生まれ,ハロー校を経て,エジンバラ大学とケンブリッジ大学に学び,1802年父の死によって襲爵。07年,トーリー党の下院議員として政界に入り,海軍次官(1807-09)を経て19年間も陸相(1809-28)を務めた。この間G.カニングの強い影響をうけ,それが彼の自由主義外交の下地となった。29年,トーリー党からホイッグ党に移り,30-34年,35-41年,46-51年と歴代ホイッグ=自由党内閣の外相を務め,52-55年に内相,ついで55-58年と59-65年の2回にわたって首相を務めた。
彼の外交は,イギリスの国益擁護を至上の目的とし,世界に冠たる海軍力に頼って他国と同盟せず,ヨーロッパ諸国に対しては勢力均衡を,それ以外のアジア,南北アメリカ,イギリスの植民地に対しては自由貿易の拡大を指向する,というものであった。この見地から,1839年のロンドン条約でベルギーの独立と安全を保障し,イタリアの独立運動には好意的であったが,プロイセンの強大化を喜ばず,そのためにドイツびいきのビクトリア女王からは嫌われた。また,ロシア嫌いであったことも手伝って,東方問題ではトルコの側に立ち,55年から58年にかけてクリミア戦争を指導し,イギリスに勝利をもたらした。一方,ヨーロッパ以外の諸地域に対しては,たとえば中国でのアヘン戦争やアロー号事件について見られたように,自由貿易政策の遂行上必要とあれば,武力の行使も辞さず,しばしば高圧的な砲艦外交を行った。国内政治については,労働者階級への選挙権拡大を認めないなど,概して現状をもってよしとする保守主義者であった。後世の歴史家からは,ときに偉大なる平凡人として評価された。
執筆者:村岡 健次
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イギリスの政治家。アイルランド貴族の家に生まれ、1802年父の死とともに子爵となる。1807年トーリー党員として下院議員となり、1809年より約20年間陸相を務めた。党内自由主義派に属し、1830年にホイッグ党(後の自由党)に合流、グレー内閣の外相を皮切りに、以後30年間外相や首相としてイギリス外交を指揮した。ヨーロッパ大陸では、フランスを牽制(けんせい)し、1832年のベルギー独立達成は、彼の外交の初の輝かしい成果とされた。東方問題では、ロシア、フランスの進出を阻止してオスマン・トルコ帝国の保全を図り、ヨーロッパの勢力均衡維持に努めた。
一方、中国に対しては1840年のアヘン戦争、1856年のアロー戦争などによって開国と不平等条約を強制し、また、インドでは1857年の大反乱(セポイの反乱)を鎮圧するなど、高圧的な政策をとった。つねにイギリスの国益擁護を前面に打ち出したその外交路線は、多くの国民の人気を博し、死去するまで「オールド・パム」の愛称で親しまれた。
[石井摩耶子]
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1784~1865
イギリスの政治家。アイルランド貴族の出身。1807年トーリ党所属で下院議員となり,陸相(在任1809~28)。1830年以降は,歴代のホイッグ党,自由党内閣で外相(在任1830~34,35~41,46~51)を務めたのち,内相(在任1852~55),ついで首相(在任1855~58,59~65)となった。彼の政策は自由主義外交の典型とみなされるが,実情はイギリスの国益至上主義によって貫かれ,自由貿易の遂行に必要な場合には砲艦外交も辞さず,また国内の改革に対しては保守的な姿勢を崩さなかった。
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…1839年,ビーグル号のストークスが来航し,科学者ダーウィンにちなみ命名した。69年に入植されパーマストンPalmerstonと名付けられたが,1911年に公式にダーウィンと改称された。1872年にアデレードとの間に陸上電信線を敷設。…
…その後1920年代までは,V.ハーバート,フリムルRudolph Friml,ロンバーグSigmund Rombergなど,ヨーロッパ出身の作曲家によるオペレッタ風の作品と,名目だけの筋で歌や踊りをつないだたわいのない恋愛劇や笑劇が多かった。しかし,J.カーンの曲,O.ハマースタインの詞と台本による《ショー・ボート》(1927。原作はE.ファーバーの小説)によって,現実感のあるミュージカルが誕生した。…
…その中には《マイ・ファニー・バレンタインMy Funny Valentine》などの名歌が含まれていた。43年には作詞家オスカー・ハマースタインと新コンビを組み,《オクラホマ!Oklahoma!》(1943),《南太平洋South Pacific》(1949),《サウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Music》(1959)など不朽の名作を書いた。【中村 とうよう】。…
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