ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アレクサンデル8世」の意味・わかりやすい解説
アレクサンデル8世
アレクサンデルはっせい
Alexander VIII
[没]1691.2.1. ローマ
ベネチア出身の第241代教皇(在位 1689~91)。本名 Pietro Vito Ottoboni。裕福な家庭で生まれ,パドバ大学では優等であり,のちに教会法の専門家となった。1652年に枢機卿(→カーディナル),1654年にブレシアの司教,1689年10月に 79歳で教皇に選出された。1682年,フランス聖職者会議がガリア主義の 4条項を公布すると,これを断罪した。フランス国王ルイ14世(在位 1643~1715)はアレクサンデル8世の死後 2年後の 1693年,空位となっている司教職を差配する権利を教皇に認めさせ,これらの条項を撤回した。これにより教皇とフランス国王の長年にわたる対立が解消にいたった。アレクサンデル8世は,救済には恩恵が必要であると主張する運動ジャンセニズムにも反対した。慈善事業には熱心に取り組み,教皇の資財をほぼ使い果たした。行き過ぎた親族登用でも知られた。
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