ルイ14世(読み)ルイじゅうよんせい(英語表記)Louis XIV, le Grand Monarque; le Roi-Soleil

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルイ14世」の意味・わかりやすい解説

ルイ14世
ルイじゅうよんせい
Louis XIV, le Grand Monarque; le Roi-Soleil

[生]1638.9.5. サンジェルマンアンレ
[没]1715.9.1. ベルサイユ
フランス王 (在位 1643~1715) 。ブルボン朝の最盛期を築き「大王」また「太陽王」と呼ばれた。ルイ 13世とアンヌ・ドートリッシュの長男。5歳で父王に死別し即位。幼少時,摂政である母后と J.マザラン国政を担当したが,フロンドの乱 (1648~53) が起り,王はパリを脱出し各地を転々とした。 1661年マザランの死後,親政を宣言した。初期,J.コルベールを起用して集権的官僚体制を整備し産業保護政策を推進すると同時に,ル・テリエ,ルーボア父子を重用し軍事力を強化して,ヨーロッパ大陸制圧政策を強行した。まず,60年ピレネー条約により政略結婚したスペイン王女マリ・テレーズの「王妃の権利」を利用してフランドル戦争 (67~68) を開始,次いでオランダ戦争 (72~78) を起し,王の威光は全ヨーロッパに及んだ。 82年新築のベルサイユ宮殿に移り,ラ・バリエール,モンテスパン侯夫人,最後にマントノン夫人寵愛の相手を変えながらも宮廷秩序規律を築き,「最大のキリスト教徒の王」を自負した。しかし,85年「ナントの勅令」の廃止 (→フォンテンブロー勅令 ) を宣言してプロテスタント弾圧を再開すると,諸国反撃が開始されファルツ戦争 (89~97) を引起し,国内ではプロテスタントの反抗,カミザール戦争が展開し,王の威光は落日へ向った。晩年,スペインの王位領土をめぐりスペイン継承戦争 (1701~14) を起したが,戦いは泥沼化し,最後にユトレヒト条約で王孫フィリップがフェリペ5世としてスペイン王に認められた。

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