日本大百科全書(ニッポニカ) 「アレッサンドリ・パルマ」の意味・わかりやすい解説
アレッサンドリ・パルマ
あれっさんどりぱるま
Arturo Alessandri Palma
(1868―1950)
チリの大統領(在任1920~1925、1932~1938)。28歳で自由党エラスリス派の下院議員として初当選して以来、政界で活躍した。1918年の上院議員選挙で精力的な選挙戦を展開したところから「タラパカ(州)のライオン」の異名をとった。1920年、急進党、自由党の一部、民主党からなる自由同盟から大統領選挙に出馬、社会改革の実施を訴えて当選し、在職中はチリの近代政治、社会制度の確立に努めた。1924年、労働時間制限、児童・婦人労働の規制、社会保障の導入、労働組合の合法化などを規定した労働法を制定した。同年9月、右派軍部の圧力により亡命したが、翌1925年1月、革新派軍部の無血逆クーデターにより復帰し、旧秩序の打破と国民の民主的権利を規定した1925年憲法を公布した。しかし、世界大恐慌後の左翼勢力台頭のなかで成立した第二次政権では、著しく保守化し、とくにその経済安定政策の導入は国民の不評を買い、「飢餓内閣」と称され、人民戦線政府へ道を譲った。
[後藤政子]