アンチオコス7世(読み)アンチオコスななせい(その他表記)Antiochos VII Sidētēs

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンチオコス7世」の意味・わかりやすい解説

アンチオコス7世
アンチオコスななせい
Antiochos VII Sidētēs

[生]前159頃
[没]前129
セレウコス朝シリアの王 (在位前 138~129) 。デメトリオス1世の子,同2世の弟。前 141年兄王がパルティア人に捕われ,前 139年摂政の兄嫁と結婚。前 135/4年エルサレムを攻略,ユダ属国とした (第1マカベア書 14・1~14) 。東方失地回復をねらってメソポタミアからパルティアを駆逐し,メディアに攻め入ったが,パルティア人は内乱を策して兄王を釈放し,陣営を奇襲してアンチオコス7世を殺害した。その後,セレウコス朝は内乱で分裂し,帝国統一の夢は消えた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む