アンチオコス7世(読み)アンチオコスななせい(その他表記)Antiochos VII Sidētēs

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンチオコス7世」の意味・わかりやすい解説

アンチオコス7世
アンチオコスななせい
Antiochos VII Sidētēs

[生]前159頃
[没]前129
セレウコス朝シリアの王 (在位前 138~129) 。デメトリオス1世の子,同2世の弟。前 141年兄王がパルティア人に捕われ,前 139年摂政の兄嫁と結婚。前 135/4年エルサレムを攻略,ユダ属国とした (第1マカベア書 14・1~14) 。東方失地回復をねらってメソポタミアからパルティアを駆逐し,メディアに攻め入ったが,パルティア人は内乱を策して兄王を釈放し,陣営を奇襲してアンチオコス7世を殺害した。その後,セレウコス朝は内乱で分裂し,帝国統一の夢は消えた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む