デメトリオス1世(読み)デメトリオスいっせい(英語表記)Dēmētrios I Poliorkētēs

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デメトリオス1世」の意味・わかりやすい解説

デメトリオス1世
デメトリオスいっせい
Dēmētrios I Poliorkētēs

[生]前336
[没]前283
マケドニア王 (在位前 294~283) 。ポリオルケテス (攻城者) と呼ばれた。父アンチゴノス1世を助けてアレクサンドロス3世 (大王) の後継者 (ディアドコイ ) 戦争を戦ったが,前 312年ガザで敗戦アテネカサンドロスから解放し (前 307) ,翌年プトレマイオス1世ソテルを海陸に破ったが,前 305年ロードス包囲に失敗,前 301年イプソスの戦いでプトレマイオス1世ソテルリュシマコスセレウコス1世連合軍大敗。かろうじてギリシアを確保したが,のちセレウコスに捕えられて獄死

デメトリオス1世
デメトリオスいっせい
Dēmētrios I Sō-tēr

[生]前187頃
[没]前150
セレウコス朝シリアの王 (在位前 160~150) 。救済王 (ソテル) と呼ばれた。セレウコス4世の子。父の治世中,ローマ人質として育ち,前 163年叔父のアンチオコス4世が死んだとき,歴史家ポリュビウスの助けでローマを逃れてシリアに帰り,アンチオコス5世および反乱を起した将軍ティマルコスを殺害して王位についた。前 160年ユダヤ人の反乱を鎮圧。前 150年にアンチオコス4世の子であると主張して立上がったアレクサンドロス・バラスに敗れて戦死した。旧約聖書外典『第1マカベア書』7章1~10に登場する。

デメトリオス1世[バクトリア]
デメトリオスいっせい[バクトリア]
Dēmētrios I

バクトリア王 (在位前 190~167頃) 。エウチデモス1世の子。アラコシアとドランギニアを王国に加え,北部インド地方にまで進攻してギリシア,インド両民族の融合というアレクサンドロス3世 (大王) の理想を追求したといわれる。このことは彼の鋳造した貨幣ギリシア語プラークリット語との銘が並び存することにもうかがわれるが,前 167年頃暗殺された。

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