改訂新版 世界大百科事典 「デメトリオス1世」の意味・わかりやすい解説
デメトリオス[1世]
Dēmētrios Ⅰ
生没年:前337?-前283
デメトリオス[1世]
Dēmētrios Ⅰ
生没年:前187-前150
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
前336~前283(在位前294~前283)
マケドニア王。ディアドコイ戦争のさなか,父アンティゴノス1世を助けて各地に転戦,前285年アナトリアで失地回復を企てて敗れ,捕えられて獄中で服毒して果てた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…在位,前139か138‐前129年。デメトリオス1世の次子。パルティアの捕虜となった兄デメトリオス2世のあとを襲って即位。…
…前306‐前168年。アンティゴノスとその子デメトリオス1世がアレクサンドロス帝国の版図を彼らの支配下に置こうとした野望は前301年イプソスの敗戦により挫かれた。アンティゴノス1世の孫アンティゴノス2世はマケドニアに王朝を確立。…
…大王の死後将軍たちの間に,帝国の統一支配を目ざすか,自己の領域支配を目ざすかの対立が生まれた。帝国宰相ペルディッカスの統一支配強行に対する反発(前321)にはじまる抗争は,大王の近親をふくむ多くの権力志向者の命を失わせ,結局エーゲ海を制圧し王を称したアンティゴノス1世,デメトリオス1世父子に対する,エジプト,トラキア,バビロニア,マケドニアをそれぞれ基盤とするプトレマイオス1世,リュシマコス,セレウコス1世,カッサンドロスKassandros連合軍の勝利となって終わる(前301)。しかしデメトリオスはカッサンドロスの死後マケドニア王となるが,前287年リュシマコスに追われる。…
…そしてフィリッポス2世の娘テッサロニケTessalonikēと結婚していたカッサンドロスはマケドニア王と称するに至った(前304)。 彼の死後(前298)その子らの王位争いに乗じ,大王の遺将で最初に王号を称したアンティゴノス1世の子で,かつてアテナイをカッサンドロスと争ったデメトリオスがマケドニア人に推されて王となった(マケドニア王としてデメトリオス1世。在位,前294‐前287)。…
※「デメトリオス1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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