日本大百科全書(ニッポニカ) 「イエナの戦い」の意味・わかりやすい解説
イエナの戦い
いえなのたたかい
1806年、ナポレオン1世がプロイセン軍を破った戦い。ナポレオンがオーストリアを屈服させ、西南ドイツ諸国にライン同盟を結成させてこれを支配下に置くに至って、プロイセンは従来の対仏中立政策の転換を余儀なくされ、ついに10月9日、フランスに対し宣戦を行った。決戦は同月14日イエナJenaとアウエルシュテットで行われ、前者はナポレオン、後者は仏将ダブーLouis Nicolas Davout(1770―1823)の指揮下で、いずれもフランス軍が完勝した。プロイセン国王フリードリヒ・ウィルヘルム3世はメーメルに逃れて同盟国ロシアとともに抗戦したが、ロシアが屈服してフランスとの同盟に踏み切ったため、1807年7月9日、やむなく屈辱的なティルジット条約を締結した。エルベ以西の全領土とポーランドを失い、ウェストファリアがナポレオンの末弟ジェロームを国王とする王国となること、およびワルシャワ大公国樹立を承認したプロイセンは、これにより大国の地位を失い、国内改革を迫られることになった。
[岡崎勝世]