翻訳|patriotism
愛国心とは,人が自分の帰属する親密な共同体,地域,社会に対して抱く愛着や忠誠の意識と行動である。愛国心が向かう対象は,国countryによって総称されることが多いが,地域の小集団から民族集団が住む国全体までの広がりがある。この対象が何であれ,それはつねにそこに生活する人々,土地,生活様式を含む生活世界の全体である。また愛国心の現れ方は,なつかしさ,親近感,郷愁のような淡い感情から,対象との強い一体感あるいは熱狂的な献身にいたるまで,幅がある。すなわち愛国心は,本来は愛郷心,郷土愛,あるいは祖国愛であって,地域の固有の生活環境の中で育まれた心性であり,自分の属している生活様式を外から侵害しようとする者が現れた場合,それに対して防御的に対決する〈生活様式への愛〉である。どの時代どの地域にも見られるこの意味の愛国心に対して,19世紀に成立したナショナリズムは,個人の忠誠心を民族国家という抽象的な枠組みに優先的にふりむけることによって成立する政治的な意識と行動である点において区別される。しかしながら世界が国家を単位として編成されるようになると,愛国心も国家目的に動員されたり,逆に国家に抵抗する働きを見せたりすることで,国家との関係を深めた。そのうえ日本では,愛国心は近代において権力によって促成栽培された歴史的経緯があるから,日本語の〈愛国心〉には国家主義的な意味合いがつきまといがちである。
愛国心の原型は,自分がその中に生まれ育ち,言語や習俗を共有する,情緒的一体感で結ばれた共同体を〈内集団〉として認識し,他の集団を自分たちとは異質な〈外集団〉として区別する意識の働きにある。この〈内集団〉意識が,郷土愛やお国自慢のみならず,歴史の状況の中で自民族中心主義ethnocentrismや国粋主義すら生む。しかしながら,今日見るような愛国心が歴史の舞台に登場するのは近代国家成立以降のことである。
近代において愛国心には大きな変化が起こった。すなわち愛国心の対象として国家が大きな比重を占めるようになり,それに伴って愛国心の主体が市民に変わった。第1に,愛国心の基盤は,郷土や故郷のような小地域から国家stateに移された。為政者は,国countryへの忠誠心を国家に移すために,宗教統一,民族教会の設立,教会の国家への従属,母国語の標準化,君主と国家の同一視などを進めた。絶対君主が中央集権的な国家を形成するにいたると,従来の職業的・地域的なものへの直接接触的な忠誠心とはまったく異なる,国家というより抽象的なものへの忠誠心を,市場経済と交通の発達,政策と教育の普及を通して調達しなければならなかった。国家への愛国心の移植が進み,民族nationが生まれてくる。第2に,愛国心の主体は,職業と地域に規定された郷土の人々でなく,また君主でもなく,民族の成員である市民に変わった。すなわち西欧近代における民族国家は,民主化の過程を通して,君主の主権が民族の成員としての自由な市民に移されることによって成立した。そこでは市民の自由と愛国心とは一致するものと考えられた。フランス革命とナポレオン戦争は,西欧に選挙権と愛国心,市民と軍人のワン・セットを同時に生んだといってよい。近代の愛国心は,一方で自発的な愛郷心の潜勢力を保ちながら,他方,権力と組織による教化・宣伝・操作にさらされてきた。
19世紀以降現代国家は,愛国心の中の自民族中心主義に働きかけてその情動の爆発を国内の統合と対外侵略に向けて利用した。たとえばナチズムは〈血と土〉の神話的象徴によって広範かつ熱狂的な大衆の愛国心を調達した。日本においても愛国心は自由と民主主義の側面を切りつめられ,愛国は忠君に移し替えられて国内の異端(〈非国民〉)排除と侵略戦争へと動員された。他方,侵略された国,植民地化された国,外国に支配された国が解放と独立の際,原動力とするものもやはり愛国心,ただし内発的愛郷心としての愛国心である。そうした愛国心をイタリアやフランスの反ファシズム・レジスタンス,インドや朝鮮の独立運動,イランのホメイニー革命,ポーランドの〈連帯〉の運動に見ることができる。今日においても愛国心は抑圧と攻撃,解放と独立の両様の働きをする。民衆の自発的な愛郷心は,レジスタンスのように,祖国の要求する愛国心と一致することもある。しかし一般に民衆の自発的な愛郷心が権力によって組織されて他律的・従属的な大衆心理に転化する場合には,かえって内外の異端への過剰な激しい攻撃が生じる。政治社会の危機は自我アイデンティティの危機に連動するから,自我が国家に吸引されて,国家の勢力拡張は自我の拡充と重なり,国の運命は己の運命と一体のものと感じられる。同時にみずからの内面の邪悪な部分は異端や〈敵〉に投射されて肥大化し,それらは国家と自我にとって脅威であり,抹殺すべきものとしてひとり歩き始める。愛国心は歴史の原動力であるが,反面その情動の行方を自覚化することが必要である。
一方では巨大な多国籍企業による世界市場支配の進展,他方では民衆の多様な〈民際〉活動の展開,そして近代国家とはまったく異なる第三世界の共同体的生活世界の自己提示によって,国家に独占されていた個人の忠誠のあり方をゆさぶる状況が今日生まれている。にもかかわらず,国家が存立する限り,国家と結びついた愛国心の奔流のもつ両面性は依然として存続する。郷土や地域あるいは人類やアジアや世界連邦に向けられる非権力的な愛郷心と,権力装置である国家への忠誠としての〈愛国家心〉とを峻別して,両者の関係を自覚的にとらえ返すことは今日いっそう重要な課題である。
執筆者:栗原 彬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ある一つの国家に属する国民が、その国家に愛着心をもち、国家の運命を自分の運命と同一視し、国家に一身を捧(ささ)げてもよいと考えるような感情をさす。こうした感情は、人間が集団生活をしているところでは自然に発生しやすいともいえる。アメリカの社会学者W・G・サムナーは、それをエスノセントリズムethnocentrismと名づけた。すなわち、外集団に対する敵対感と裏腹に存在している、内集団に対する連帯感や理想化である。しかし、現在問題となっている愛国心は、近代国民国家形成以後のそれであって、未開社会のエスノセントリズムや、古代ギリシアのポリス(都市国家)やローマや古代中国などの専制的帝国などにみられる「愛国心」とは区別して考えるべきである。
[日高六郎]
ヨーロッパにおいて、封建制社会の枠組みが崩れ、中央集権的な絶対主義国家が生まれてくる。それは、経済的には商品流通の広がりとしての国民的市場圏の成立と密接な関係がある。こうして、イギリス、オランダ、フランスなどにおいて新しい近代国家の誕生がみられる。しかし、この段階では、国民の忠誠の対象は国家ではなく、むしろ国王であった。
やがて、都市の市民階級の力がさらに強くなって、王侯、貴族、僧侶(そうりょ)などの権力からの解放が求められる。そして、フランス大革命(1789)でみられるように、自由、平等、博愛の市民的、民主的価値の実現のために、新しい国家権力の形成が問題となる。この段階で、典型的な意味での近代国民国家が成立する。そして、市民にはこの国家の支持と防衛の義務が課せられ、そのなかで近代的な愛国心が生まれた。そこでは、愛国と市民的自由とが結び付いていた。つまり、ナショナリズムとデモクラシーとは一体のものとされた。
こうした愛国心は、たとえば江戸幕藩体制における藩主への忠誠心などとはかなり違ったものである。そのことを自覚して、明治時代の学者西村茂樹は『尊王愛国論』(1891)のなかで、「現今本邦にて用ひる愛国の義は支那(しな)より出(いで)たるに非(あら)ずして、西洋諸国に言ふ所のパトリオチズムを訳したるものなり……本邦及び支那の古典を閲するに、西人の称するが如(ごと)き愛国の義なく……」と書いている。この指摘は歴史的に正確であるといえよう。
18世紀のヨーロッパでは、フランスやオランダの進歩派や共和派は自らを愛国者と名のり、イタリアの統一独立国家を求める運動に参加する者たちも愛国者であることを誇りとした。こうした思想的系譜は、日本でも自由民権論者が愛国公党とか愛国社を創設したところにみられる。
[日高六郎]
しかし、近代国民国家の愛国心は、同時に植民地獲得競争のなかで、比較的、民主主義の発達したイギリス、アメリカ、フランスなどにおいても、侵略主義を肯定する愛国心に変質した。まして前近代的要素が濃厚に残っていたドイツ、ロシア、日本などでは、君主への忠誠と国家への献身が癒着する。日本では、「愛国」は自由民権論者から国権論者の手に渡った。明治の絶対主義国家のなかでは、「忠君愛国」が国民の教化の中核に据えられる。こうして愛国心は市民的自由と切り離された。その考えは1890年(明治23)に発布された教育勅語で完成された。光と影を伴っていた愛国心の影の部分がむしろ大きくなり、まさに「無頼漢の最後の逃げ場所」と指摘されるようなものとなった。
その側面は第二次世界大戦を経た現在でさえ強く残っている。たとえば、1982年のフォークランド諸島(マルビナス諸島)をめぐるイギリスとアルゼンチンの戦いは、19世紀的「愛国心」がいまも存在していることを示した。愛国心はどこの国でも「国を守る気概」というように、国家の軍事的「防衛」と結び付けられていることが多い。日本における戦後の「愛国心」論争はその例証である。
[日高六郎]
しかし他方、長い間植民地圧制に苦しんできた被圧迫民衆のなかからは、国家の独立を求める愛国心が生まれる。毛沢東は「民族は解放を求め、国家は独立を求め、人民は革命を求める」といったが、こうした文脈のなかでの愛国心は、現在第三世界の解放運動のなかに存在している。ただし、第二次大戦後多くの社会主義国家が生まれたが、その間でも国家の利害の衝突が生まれた。このことでも理解できるとおり、ナショナリズムとインターナショナリズムとの統一は、依然としてまだ解決されていない課題である。
一般的に、愛国心を国家がとくに奨励することは、むしろ有害な時代に入っている。ましてや軍事的緊張のもとでつくられる愛国心は、人類の平和にとっての対立物となっているといえよう。
[日高六郎]
『青柳清孝・園田恭一・山本英治訳『現代社会学大系3 サムナー フォークウェイズ』(1975・青木書店)』▽『丸山真男著『増補版 現代政治の思想と行動』(1964・未来社)』▽『E・H・カー著、大窪愿二訳『ナショナリズムの発展』(1952・みすず書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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