日本大百科全書(ニッポニカ) 「イブヌル・ムカッファー」の意味・わかりやすい解説
イブヌル・ムカッファー
いぶぬるむかっふぁー
Abd allāh ibn al-Muqaffā
(722―757ころ)
イラン系のアラビア語著述家。ゾロアスター教徒だった父ダーザワイフは、イスラム教徒のための収税人をしていて、アラブ役人に痛めつけられ、「手の曲がった者」(ムカッファー)とよばれたので、息子ルーズビフはムカッファーの息子(イブン)とよばれるようになった。ルーズビフはのちイスラム教に改宗し、アブド・アッラーと名を変えた。彼は、ウマイヤ朝最後のカリフ(最高指導者)、マルワーン2世の書記で、最初のアラビア語散文を残したアブドゥル・ハミード・イブン・ヤフヤー(750没)を師としてアラビア語に習熟し、パフラビー語(中世ペルシア語)の諸作品からの翻訳を行った。もっとも有名なのが『カリーラとディムナ』で、ほかに『小アダブと大アダブ』(アダブは文学的教養をさす)が伝えられ、このほか、数種の翻訳ないし著作があったことが知られている。
彼は、アッバース朝第2代カリフ、マンスールの治下に刑死したといわれている。それは、自己の作品をコーランに比したためとも、ゾロアスター教によってイスラム教を損なおうとしたからとも伝えられているが、政治的事件に巻き込まれたというのが真相らしい。
[矢島文夫]