改訂新版 世界大百科事典 「イブントゥーマルト」の意味・わかりやすい解説
イブン・トゥーマルト
Ibn Tūmart
生没年:1091ころ-1130
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…とくにバグダードの学院はイスラム諸学の中心的な地位を占め,学生数は数千人に達したという。教授陣の中で神学教授であったガザーリーはとくに名高く,学生の中では後にムワッヒド朝の基礎を築いたイブン・トゥーマルトやイランの大詩人サーディーがよく知られている。バグダードの学院はセルジューク朝没落後,14~15世紀ごろまで存続した。…
…カイサーン派の隠れメシアの観念はシーア派にも受け入れられ,十二イマーム派は第12代目イマームのムハンマド・アルムンタザルが隠れメシアになったと信じ,イスマーイール派は別の隠れイマームの血統を継ぐマフディーが再臨してファーティマ朝を開いたと主張した。イスラムにおける終末論的マフディー思想の伝統は根強く,ムワッヒド運動におけるイブン・トゥーマルト,マフディー派運動におけるムハンマド・アフマド,1979年11月のメッカのカーバ襲撃事件におけるカフターニーなど,激しい抗議と抵抗運動の際,しばしばマフディーと称する者が活躍する。【嶋田 襄平】。…
…スペイン語ではアルモアデAlmohade。創始者アブド・アルムーミン‘Abd al‐Mu’min(在位1130‐63)は,イブン・トゥーマルトの宗教運動を基礎に,アトラス山中の定着民マスムーダ族を率いてアトラス山中のティーンマッラルに建国した。1145年にはイベリア半島に軍隊を派遣,間もなく半島南部を支配し,47年にはムラービト朝を倒し,都をマラケシュに移した。…
※「イブントゥーマルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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