ガザーリー(読み)がざーりー(英語表記)Abū āmid al-Ghazālī

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガザーリー」の意味・わかりやすい解説

ガザーリー
がざーりー
Abū āmid al-Ghazālī
(1058―1111)

イスラムスンニー派神学者、宗教思想家。ラテン名アルガゼルAlgazel。イランのトゥースに生まれ、ネイシャーブールの神学校でアシュアリー派神学の巨匠イマームル・ハラマインに師事し、神学、イスラム法学を学ぶ。

 早くから学者としての名声高く、セルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルク推挙により、当時スンニー派世界の最高学府であったバグダードニザーミーヤ学院の教授となる。ここでスンニー派護教学者としてシーア諸派に対する批判の書を著したり、ヘレニズム哲学を研究、その批判の書を書いたりした。こうして教師、研究者、護教論学者として多忙を極める生活を送るうちに深刻な精神的苦悩に陥り、一種の失語症になる。1095年に教職を去り、いっさいを放棄して遍歴のスーフィー(イスラム神秘家)となり、中東各地を放浪した。それは霊魂の苦悩をいやすための旅であった。やがて真の信仰を体得して故郷のトゥースに帰り、著述と瞑想(めいそう)に専念する隠遁(いんとん)生活に入り、52歳でこの地に没した。

 実生活においても、精神的にも波瀾(はらん)に富む生涯を送ったガザーリーの思想はさまざまな側面をもっている。しかし、晩年に至って、主体的神体験を根拠とした独自の宗教思想を確立している。それはイスラム神秘思想から多くの影響を受けているが、神人合一思想のような極端な説を退け、人間精神の詳細な分析による自己認識の徹底を通し神認識に至る方法を開発している。このガザーリーの思想は、それ以後のスンニー派世界の思想的動向を決定的に規定している。また、このような宗教思想を完成する過程で書かれたヘレニズム哲学批判の書『哲学者の自己矛盾』は、スンニー派世界における哲学研究に致命的な打撃を与えた。著作はアラビア語ペルシア語によってなされ、おびただしい数に上るが、『宗教諸学の再生』『幸福の錬金術』『哲学者の自己矛盾』『誤謬(ごびゅう)よりの救済』などが有名である。

[松本耿郎 2018年4月18日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガザーリー」の意味・わかりやすい解説

ガザーリー
al-Ghazālī

[生]1058. トゥース
[没]1111. トゥース
アシュアリー派のイスラム神学者,法学者,神秘思想家。ラテン名 Algazel。 1091~95年バグダードのニザーミア学院で神学を教授。その後 10年間,メッカ巡礼をはさんでシリア各地を放浪し,その後故郷で隠遁の神秘生活をおくる。 1105年にニシャプールで一時教鞭をとったがすぐ辞し,再びトゥースに引退した。中世ラテン世界ではイブン・シーナーの弟子の哲学者と考えられていたが,彼はイスラムの教義を守るべく,ファーラービー,イブン・シーナーのアリストテレス的哲学を激しく批判した神学者であった。哲学者には,造物主の存在や,神が一者であり非物体であって個物を認識すること,人間の魂が肉体から独立して不死であることなどは証明できないし,世界の永遠性の主張や,復活,天国,地獄の否定はまちがいであるとした。敵である哲学自体をおのれの武器とした彼の批判は成功を収め,東方スンニー派世界でのイスラム哲学は衰退に向った。主著『宗教諸学の再興』 Iḥyā' `ulūm al-dīn,『哲学者の自滅』 Tahāfut al-falāsifah。

ガザーリー
al-Ghazālī, Ahmad

[生]? トゥース
[没]1126
イランのイスラム神秘思想家。有名なスンニー派のアシュアリー派イスラム神学者であるガザーリーの弟にあたる。神と人間とは絶対的に隔絶しているというイスラムの基本的前提に抵触することなく,神への愛の可能性を示すことに成功した。そして愛する者と愛される者とが純粋な愛のなかで一体化しうるという思想に基づいて,きわめて文学的な手法でその説を展開している。主著『熱愛者の直感』 Sawānih al-`ushshāq。

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