エプスタン(英語表記)Jean Epstein

改訂新版 世界大百科事典 「エプスタン」の意味・わかりやすい解説

エプスタン
Jean Epstein
生没年:1897-1953

ポーランド生れのフランス映画監督理論家。ルイ・デリュック(1890-1924)の影響を受けて,〈フォトジェニー理論を展開した《映画よ今日は》(1921),《エトナ山上の映画論》(1926)などを発表する。アバンギャルドの監督としても活躍し,エドガー・アラン・ポーの怪奇小説を幻想的な映像表現で描いた《アッシャー家の末裔》(1928)が代表作。第2次世界大戦中ドイツのゲシュタポに捕らえられたが危うく追放を逃れ,戦後パリの映画高等研究所の教壇にも立った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エプスタン」の意味・わかりやすい解説

エプスタン
Epstein, Jean

[生]1897.3.26. ワルシャワ
[没]1953.4.2. パリ
フランスの映画理論家,監督。フォトジェニー理論から映画哲学,映画文化論の領域開拓,前衛映画監督としても『アッシャー家の末裔』 La Chute de la Maison Usher (1926) などの名作を残した。主著『こんにちは映画』 Bonjour,Cinéma (21) ,『映画の精神』 Esprit du Cinéma (55) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エプスタン」の意味・わかりやすい解説

エプスタン
えぷすたん

エプステイン

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世界大百科事典(旧版)内のエプスタンの言及

【ドキュメンタリー映画】より

… ドイツでは,いわゆる〈クルトゥールフィルムKulturfilm〉(〈文化映画〉と訳されて日本語に定着している)がつくられ,なかでもワルター・ルットマンの《伯林――大都会交響楽》(1927)や《世界のメロディ》(1929)は,ベルトフの〈映画眼〉理論の〈リズムのモンタージュ〉に影響された代表的な長編ドキュメンタリーである。 フランスのドキュメンタリーは,20年代に純粋な視覚的表現を意図した芸術運動である〈アバンギャルド映画〉と密接なかかわりをもっているが,アルベルト・カバルカンティの《時の外何物もなし》(1926)やジャン・エプスタンの《地の果て》(1929)などがつくられた。 オランダではヨリス・イベンスの《雨》(1929),スペインではルイス・ブニュエルの《糧なき土地》(1930),ベルギーではアンリ・ストルクの《無名兵士の物語》(1930)といった,今日〈名作〉として知られるドキュメンタリーがつくられている。…

【フォトジェニー】より

… かつて世界の市場を支配したフランス映画が,第1次世界大戦を機にハリウッド映画に圧倒されていた当時,フランスのもっとも先駆的な映画人の1人であったルイ・デリュックLouis Delluc(1890‐1924)は,映画の本質を〈フォトジェニー〉ということばであらわし,《フォトジェニー》(1920)と題する著書も出した。〈フォトジェニー〉は定義しがたい〈魔法のことば〉といわれたが,デリュックを師と仰いだ監督・理論家のジャン・エプスタンは,《エトナ山上の映画論》(1926)のなかで,〈絵画にとっての色彩,あるいは彫刻にとってのボリューム,すなわちその芸術の固有の要素〉とフォトジェニーを定義し,また映画批評家・理論家レオン・ムーシナックLéon Moussinac(1890‐1964)は,フォトジェニーの本質を〈視覚的リズム〉と定義した。デリュックの脚本によるジェルメーヌ・デュラック監督の《スペインの祭》(1919),デリュック脚本・監督の《狂熱》(1921),アベル・ガンス監督の《鉄路の白薔薇》(1923)などがフォトジェニーの美学を実現した代表的な作品に数えられる。…

※「エプスタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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