改訂新版 世界大百科事典 「オロモ族」の意味・わかりやすい解説
オロモ族 (オロモぞく)
Oromo
エチオピア中西部(ショア,ワラガ地方),中東部(ハラール地方)および南部(アルシ,バレ,シダモ地方)からケニア北部(マルサビット地方),東部(タナ川流域)にわたる広い地域に住む。ガラGalla族とも呼ばれる。その言語は,アフロ・アジア語族の低地東クシ系に属し,いずれも同一の言語ガリニヤを話す。推定人口800万~1000万。細かくは,マチャ,トゥラマ,ウォロ,東部ガラ(イトゥ・コットゥ),アルシ,グジ,ボラナ,ガブラ,オルモ等に分かれる。
オロモは,もともとエチオピア南部のシダモ地方にいたが,16世紀ころから北部および南部へ急速に領域を拡大していった。その理由として,オロモ社会の二つの特徴があげられる。第1は,オロモがモロコシを中心とする農耕と同時に牛,ヤギ,羊などの牧畜を営む半農半牧であったことである。半農半牧は,ヨーロッパの三圃式農業と異なり,農耕と牧畜が有機的に結びつかないため,高地では農耕に重点をおき,低地では牧畜に重点をおくという柔軟な生産様式をとることができ,オロモは広い地域に適応していったのである。第2に,オロモ社会に顕著にみられるガダと呼ばれる年齢組織があげられる。ガダは,8年ごとに軍事・経済・政治・儀礼の任務を遂行し継承していく年齢集団の体系全体をさして一般に使われるようになった用語であるが,このガダ・システムには,ある年齢集団が社会において次のリーダーシップを握るため,祖先が果たさなかった地域に対し戦争をしかけることが仕組まれていた。オロモではこの種の戦争(ブッタ)が8年ごとに繰り返されたのである。そのため,16世紀に急速に領域が拡大され,エチオピア全土のおよそ半分はオロモにおさえられることとなった。
17~19世紀にそうして広がっていったオロモの社会は,少しずつ分化していく。北のウォロと南西のカファでは,従来と異なった君主制を発展させたほどである。そうした反面,ガダ・システムはオロモに活力を吹きこむ儀礼に転じていった。ともあれ,オロモは,領域拡大の過程で,隣接する集団に大きな文化的影響を及ぼしたのであるが,一方,周辺部ではアムハラ族など,他集団に吸収されていった者も少なくない。
執筆者:福井 勝義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報