王制ともいう。一般には、世襲の君主が、ある政治共同体において最高権力(主権)をもつ政治形態。17、18世紀の市民革命前には多数みられた。
君主による統治は1人支配であるから、英語ではこの君主制をモナーキーmonarchy(ただ1人の支配)とよぶ。君主制はアリストテレスの分類にもあるように、少数の貴族が支配する貴族制(アリストクラシー)、国民が自ら統治する民主制(デモクラシー)とともに歴史上もっとも古くからある政体の一種である。古代の専制国家、封建諸侯の支配した国家、絶対君主治下の絶対主義国家、近代以降ではイギリスのような立憲君主制、またロシア革命、ドイツ革命以前のロシア、プロイセン、明治維新から第二次世界大戦終結までの日本にみられたような君主専治的な君主制がその典型例。第二次大戦後の現在では、君主の存続する国は、イギリス、北欧三国、ベネルックス三国、モナコ、日本などその数はごく少なく、しかも、そのほとんどの国々において君主は象徴的地位にあるから、歴史上かつて存在したような君主制は皆無に近く、したがって、それらの国々も実際には民主共和制的性格をもつ国家といえよう。
では、なぜ君主制はこのように衰退し変容したのであろうか。この問題に関しては、近代資本主義の成立と密接な関係がある。ハリントンは、君主がその国の土地の大部分を所有している場合、君主制は適合的な政体であったが、17世紀中ごろのイングランドでは土地の大半を中産ヨーマン層が所有するに至ったため民主制的政体を求める政治運動が起こった、と述べている。この指摘は、中産市民階級の台頭と君主の絶対的統治との間に矛盾が生じた結果、中産市民階級が政治の実権を握ることを目ざした市民革命当時の状況を説明したものとして興味深い。もっとも、市民革命によっても、イギリスでただちに君主制が廃絶されたわけではなく、その後、3世紀ほどかけて、しだいに君主の地位を象徴的なものへと変えていったのである。すなわち、この国では、名誉革命後に、立法権をもつ議会に最高権力があり、それゆえに議会が行政権をもつ国王に優位するという考えが定着し、続く18世紀中に、議会に基盤を置く内閣が事実上の行政権を掌握し、ここに、「君臨すれども統治せず」という民主主義的な政治慣行が確定されていく。さらには19世紀から20世紀にかけての数次の選挙法改正を通じて普通選挙制が実施され下院の絶対的優位が確立するとともに、1931年のウェストミンスター憲章において君主の象徴的地位が宣言されるなかで、君主制の民主化による民主主義国イギリスが完成されていったのである。このようにイギリスにおいて君主の存続が認められたのは、バジョットがいうように、尊厳的性格をもつ君主の国民統合のための政治的機能を重視したことによる。
ところで、遅れて資本主義国家となったドイツ、ロシア、日本のような国々では、君主の絶対的権力をてこにして富国強兵策が図られたため、これらの国々における君主制は、人権と自由を抑圧するきわめて封建的・反動的・非民主的な政治形態をとることになり、国内外から厳しい批判を受けた。しかしロシアではロシア革命によって社会主義国が誕生し、ドイツではドイツ革命後ワイマール共和国が出現し、ツァー、カイザーの名称で恐れられた悪名高い君主制は消滅した。もっともドイツでは1933年以降、ヒトラーの独裁政治という悲劇を招いたが、これも敗戦によって、西ドイツに民主共和国が、東ドイツに社会主義国が誕生したが、90年には東西ドイツが統一してドイツ連邦共和国となった。
日本の場合は、第二次大戦後、日本国憲法が制定されたことによって、国民主権主義、平和主義、基本的人権の尊重を原則とする民主主義国家がようやく成立した。ここでは、天皇は政治的権限をもたない日本国および日本国民統合の象徴として位置づけられたが、その趣旨は、君主制の民主化による民主主義国家の確立、国民統合の政治的機能をもつ象徴としての天皇というイギリス型民主政治の道を志向したものと考えてよいであろう。
[田中 浩]
一人の支配者によって統治される国家形態。ギリシア語のモナルケスmonarchesに語源があり,モノスmonos(alone)+アルコarcho(rule),すなわち,〈ただ一人の支配〉を意味する。通常,少数者の支配(貴族制),多数者の支配(民主制),および,それぞれの類似形態にあたる僭主制(僭主),寡頭制,暴民制などと区別される。古代には,ギリシアのポリス,ローマのキウィタスは,政治共同体として所与のものと観念されており,支配者の所有物とはみなされていなかったから,君主制がただちに共和制と対立するものと考えられていたわけではない。ただし,アリストテレスは一人の支配が誤りやすく不安定である点を指摘している。中世においては,君主は〈同輩中の第一人者〉と考えられており,慣習法,基本法に強く拘束されていた。その意味では,教皇をいただく教会のほうが君主制と呼ぶにふさわしいといえよう。しかしヨーロッパでは中世末期に至り,社会の流動化が激しくなるにつれ,君主はしだいに権力を集中しはじめる。このような動きに対して,諸身分は基本法を成文化し,等族会議において諸特権を擁護しようとするが,このこと自体が中世的多元性を整序していくものであった。ルネサンス,宗教改革,それに続く信条主義confessionalismの時期を通じて,社会の秩序維持のために君主の力が要請され,集権化が強まると,従来のような君主制と僭主制との区別を否定する考え方が生じてくる(マキアベリ,ホッブズ)。この考え方は,J.ボーダンの主権論と結びついて,絶対王政の思想的支柱となった。もっとも,現実には絶対君主といえども多くの特権の前に必ずしも絶対ではなく,つねに〈公共の福祉〉をうたわなければならなかったことを忘れてはならない。しかし,国家が王朝の家産とみなされたことは共和主義との対立を激化させた。イギリス革命,アメリカ独立革命,フランス革命は,両者の対決として意識され,共和主義の勝利を告げた。20世紀の2度にわたる大戦を経て,ヨーロッパの君主制は名目化したといえよう。
→政体
執筆者:吉岡 知哉
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