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君主制 くんしゅせいmonarchy

翻訳|monarchy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

君主制
くんしゅせい
monarchy

特定の1人が国の主権者である国家・政治形態。その特定の1人を君主といい,その君主の地位が血統に基づいて定まる世襲君主制と一定の選挙権者の選挙によって決る選挙君主制の2種があるが,今日では後者はもはやみられない。アリストテレス以来,国家は,一般に,君主制,貴族制民主制の3種に分類されるが,君主制に,2人以上の者が主権者である共和制を対峙せしめる2分類の考え方もある。君主制政治の原型は世襲制に基づく専制支配を原理として,神政政治的性格をもつ東方世界の君主に求められる。君主制政治は 16世紀初めに絶大な権力をふるった絶対君主制政治 (→専制君主制 ) を頂点とするが,その後憲法または立憲主義によって君主の統治権を制限する立憲君主制が登場し,さらに主権をもはやまったく失って象徴的な意義をもつにとどまる君主制 (象徴君主制) もみられるようになった。日本国憲法下の君主制はこの象徴君主制である。なお世界史的にみて,君主制政治をとる国は次第に減少しつつあるといえる。

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百科事典マイペディアの解説

君主制【くんしゅせい】

通常世襲的な(時として選挙による)単独首長(君主)が,政治的に最高の地位を占める政治体制。英語でmonarchy。君主が主権を保持している場合と,儀礼的な存在で実質上は共和制である場合(象徴)とに分けられる。
→関連項目寡頭制国体政体政体循環論民主主義

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世界大百科事典 第2版の解説

くんしゅせい【君主制 monarchy】

一人の支配者によって統治される国家形態。ギリシア語のモナルケスmonarchesに語源があり,モノスmonos(alone)+アルコarcho(rule),すなわち,〈ただ一人の支配〉を意味する。通常,少数者の支配(貴族制),多数者の支配(民主制),および,それぞれの類似形態にあたる僭主制(僭主),寡頭制,暴民制などと区別される。古代には,ギリシアのポリス,ローマのキウィタスは,政治共同体として所与のものと観念されており,支配者の所有物とはみなされていなかったから,君主制がただちに共和制と対立するものと考えられていたわけではない。

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大辞林 第三版の解説

くんしゅせい【君主制】

君主によって統治される政治形態。憲法などの制度により制約を受ける制限君主制と、君主の意思が何ものにも制約されない絶対君主制とがある。王政。 → 共和制

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

君主制
くんしゅせい

王制ともいう。一般には、世襲の君主が、ある政治共同体において最高権力(主権)をもつ政治形態。17、18世紀の市民革命前には多数みられた。
 君主による統治は1人支配であるから、英語ではこの君主制をモナーキーmonarchy(ただ1人の支配)とよぶ。君主制はアリストテレスの分類にもあるように、少数の貴族が支配する貴族制(アリストクラシー)、国民が自ら統治する民主制(デモクラシー)とともに歴史上もっとも古くからある政体の一種である。古代の専制国家、封建諸侯の支配した国家、絶対君主治下の絶対主義国家、近代以降ではイギリスのような立憲君主制、またロシア革命、ドイツ革命以前のロシア、プロイセン、明治維新から第二次世界大戦終結までの日本にみられたような君主専治的な君主制がその典型例。第二次大戦後の現在では、君主の存続する国は、イギリス、北欧三国、ベネルックス三国、モナコ、日本などその数はごく少なく、しかも、そのほとんどの国々において君主は象徴的地位にあるから、歴史上かつて存在したような君主制は皆無に近く、したがって、それらの国々も実際には民主共和制的性格をもつ国家といえよう。
 では、なぜ君主制はこのように衰退し変容したのであろうか。この問題に関しては、近代資本主義の成立と密接な関係がある。ハリントンは、君主がその国の土地の大部分を所有している場合、君主制は適合的な政体であったが、17世紀中ごろのイングランドでは土地の大半を中産ヨーマン層が所有するに至ったため民主制的政体を求める政治運動が起こった、と述べている。この指摘は、中産市民階級の台頭と君主の絶対的統治との間に矛盾が生じた結果、中産市民階級が政治の実権を握ることを目ざした市民革命当時の状況を説明したものとして興味深い。もっとも、市民革命によっても、イギリスでただちに君主制が廃絶されたわけではなく、その後、3世紀ほどかけて、しだいに君主の地位を象徴的なものへと変えていったのである。すなわち、この国では、名誉革命後に、立法権をもつ議会に最高権力があり、それゆえに議会が行政権をもつ国王に優位するという考えが定着し、続く18世紀中に、議会に基盤を置く内閣が事実上の行政権を掌握し、ここに、「君臨すれども統治せず」という民主主義的な政治慣行が確定されていく。さらには19世紀から20世紀にかけての数次の選挙法改正を通じて普通選挙制が実施され下院の絶対的優位が確立するとともに、1931年のウェストミンスター憲章において君主の象徴的地位が宣言されるなかで、君主制の民主化による民主主義国イギリスが完成されていったのである。このようにイギリスにおいて君主の存続が認められたのは、バジョットがいうように、尊厳的性格をもつ君主の国民統合のための政治的機能を重視したことによる。
 ところで、遅れて資本主義国家となったドイツ、ロシア、日本のような国々では、君主の絶対的権力をてこにして富国強兵策が図られたため、これらの国々における君主制は、人権と自由を抑圧するきわめて封建的・反動的・非民主的な政治形態をとることになり、国内外から厳しい批判を受けた。しかしロシアではロシア革命によって社会主義国が誕生し、ドイツではドイツ革命後ワイマール共和国が出現し、ツァー、カイザーの名称で恐れられた悪名高い君主制は消滅した。もっともドイツでは1933年以降、ヒトラーの独裁政治という悲劇を招いたが、これも敗戦によって、西ドイツに民主共和国が、東ドイツに社会主義国が誕生したが、90年には東西ドイツが統一してドイツ連邦共和国となった。
 日本の場合は、第二次大戦後、日本国憲法が制定されたことによって、国民主権主義、平和主義、基本的人権の尊重を原則とする民主主義国家がようやく成立した。ここでは、天皇は政治的権限をもたない日本国および日本国民統合の象徴として位置づけられたが、その趣旨は、君主制の民主化による民主主義国家の確立、国民統合の政治的機能をもつ象徴としての天皇というイギリス型民主政治の道を志向したものと考えてよいであろう。[田中 浩]

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