日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
オーストリア社会民主労働者党
おーすとりあしゃかいみんしゅろうどうしゃとう
Sozialdemokratische Arbeiterpartei in Österreich
1919年以来Sozialdemokratische Arbeiterpartei Österreichs。1889年初めに結成されたオーストリア・ハンガリー帝国内のオーストリア部分の政党。党はドイツ人のほかにチェコ人、ポーランド人その他を含む国際組織であった。指導者はアドラー、のちにバウアー。オーストリア・ハンガリー帝国の解体に反対し、同帝国を、各民族の平等と自治、とくに各民族内部の民主化に立脚する民主的連邦に改造することを要求して、その民族理論が国際的に重視された。急速に成長して、1907年第1回普通選挙による議会で第一党。規律の高さ、大衆生活への密着、理論の柔軟さなどの点で、国際的にも指導的地位にたった。19年以来オーストリア地方だけの組織となり、20年10月まで政府与党、以後野党となったが、ウィーン市は党の牙城(がじょう)として残り、同市の社会政策が有名になった。共産主義と社会民主主義との統合を唱えるその理論も大きな影響力をもった。34年2月、反動派に抵抗する労働者の蜂起(ほうき)が敗北して非合法化され、38年3月ドイツ・オーストリア合邦後に組織を解散した。現在のオーストリア社会党Sozialistische Partei Österreichsは同党の後継組織である。
[村瀬興雄]