アドラー(読み)あどらー(英語表記)Alfred Adler

デジタル大辞泉 「アドラー」の意味・読み・例文・類語

アドラー(Alfred Adler)

[1870~1937]オーストリアの精神医学者。精神異常の原因を性的異常に求めるフロイトの説に反対し、過度の優越への欲求が原因であると主張。

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精選版 日本国語大辞典 「アドラー」の意味・読み・例文・類語

アドラー

  1. ( Alfred Adler アルフレート━ ) オーストリアの精神医学者。フロイトの性欲中心の学説に反対して、人間活動の最大の動機を優越欲求(力への意志)に求め、「個人心理学」を樹立した。主著「個人心理学の実践と理論」。(一八七〇‐一九三七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アドラー」の意味・わかりやすい解説

アドラー(Alfred Adler)
あどらー
Alfred Adler
(1870―1937)

オーストリアの精神分析学者。ウィーンに生まれる。1895年ウィーン大学で医学の学位をとり、眼科と内科医になるが、フロイトの精神分析に興味をもち、1902年から1911年までウィーン精神分析学協会の仕事に携わる。その後、エディプス・コンプレックスをめぐる理論的な対立からフロイトの性欲説を批判してフロイトから離反し、自分で「個人心理学」の仲間を集めて一派をなす。この個人心理学は、その文字とは反対に社会心理学的傾向をもつもので、後の新フロイト派に影響を与えた。1935年ナチスの脅威から逃れるためアメリカに渡る。彼の考え方は、劣等感、優越の努力などの概念によく示されている。また、児童の教育についての著作も多い。

[外林大作・川幡政道]

『アルフレッド・アドラー著、安田一郎訳『器官劣等性の研究』(1984・金剛出版)』『アルフレッド・アドラー著、岸見一郎訳『個人心理学講義――生きることの科学』(1996・一光社/2012・アルテ)』『エドワード・ホフマン著、岸見一郎訳『アドラーの生涯』(2005・金子書房)』


アドラー(Viktor Adler)
あどらー
Viktor Adler
(1852―1918)

オーストリアの社会民主主義者。6月24日、富裕な商人の子としてプラハに生まれる。ウィーンで医学を学び、生活困窮者の医療に携わるうち社会問題への目を開いた。ドイツイギリスを旅行したおり、ベーベルエンゲルスと知己になり、1885年社会民主党に入った。翌1886年ウィーンで週刊誌『平等』を創刊、1889年オーストリア社会民主党創立、『労働者新聞』を刊行して没年までその主筆を務めた。1905年下院議員となり、1907年には帝国議会第一党の議員として平和運動を進めた。第一次世界大戦に際しては、初めこれをオーストリアの自衛戦争とみて、君主制を擁護していたが、1918年以後は諸民族の自決権を強く主張し、その結果オーストリア・ハンガリー帝国の解体に導き、自らはオーストリア共和国の樹立に参画することになった。1918年10月には外相となりドイツとの合併を進めようとしたが同年11月11日ウィーンで没した。

[中井晶夫]


アドラー(Max Adler)
あどらー
Max Adler
(1873―1937)

オーストリア・マルクス主義の代表的思想家。第一次世界大戦後から1934年までのオーストリア社会民主党左派の理論的指導者。ウィーン大学員外教授。新カント派哲学やマッハの影響を受け、マルクス主義を社会学として理論的、方法論的に定式化を企て修正し、オーストリア・マルクス主義の科学哲学論を展開した。第一次世界大戦後、政治理論の分野でも注目すべき著作を発表し、とりわけケルゼンHans Kelsen(1881―1973)やヘラーとの国家論論争や「社会的民主主義」論などで、プロレタリア独裁の必要性を理論的に認めたが、ボリシェビキ政権に対してはその非民主性と暴力性を批判した。究極目標である社会主義は、人間の意識が社会主義的に変えられて初めて、すなわち「新しい人間」がつくりだされて初めてその実現に近づきうるという考えから、社会主義的文化、教育論を展開し、成人教育運動の分野でも指導的役割を果たした。

[安 世舟]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アドラー」の意味・わかりやすい解説

アドラー
Adler, Mortimer J.

[生]1902.12.28. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2001.6.28. カリフォルニア,サンマテオ
アメリカ合衆国の哲学者,教育者,編集者。フルネーム Mortimer Jerome Adler。1928年コロンビア大学で哲学博士を取得。同大学で教えたのち,シカゴ大学法哲学教授となった。1952年ロバート・メイナード・ハッチンズとともに "Great Books of the Western World" 54巻を編集,重要概念の索引である Syntopiconを企画,編集した。同 1952年サンフランシスコ(1964以降シカゴ)の哲学研究所所長,1969年『ブリタニカ百科事典』第15版(通称プランB)の編集責任者となった。おもな著・編書に,『本を読む本』How to Read a Book(1940),『資本主義宣言』The Capitalist Manifesto(1958,共著),『教育革命』The Revolution in Education(1958,共著),"Gateway to the Great Books"(1963,10巻),"Annals of America"(20巻)などがある。

アドラー
Adler, Alfred

[生]1870.2.7. オーストリア,ペンツィング
[没]1937.5.28. イギリス,アバディーン
オーストリアの精神病学者,心理学者。初めウィーンでジグムント・フロイトに学んだが,その汎性欲説にあきたらず,フロイトと別れて,個人心理学の学派を打ち立てた。人間を駆りたてる最も優勢な原動力は,生命の本質的完成への努力であるとし,これはしばしば劣等感への補償としての優越への要求となると説いた(→補償作用)。また個人は社会から離れては考えられず,すべての重要問題は社会的である,と主張した。主著『器官劣等性の研究』Studie über Minderwertigkeit von Organen(1907),『人間知の心理学』Menschenkenntnis(1927),『人生の意味の心理学』What Life Should Mean to You(1931),"Über den nervösen Charakter"(1912)など。

アドラー
Adler, Felix

[生]1851.8.13. アルツァイ
[没]1933.4.24. ニューヨーク
アメリカの宗教教育者。倫理文化運動の指導者。倫理文化協会の設立者。ユダヤ人のラビを父としてドイツに生れ,幼時にアメリカへ移民。 1870年コロンビア大学卒業,のちドイツに留学。 76年ニューヨーク倫理文化協会,倫理文化学校,およびニューヨーク市最初の無料幼稚園を設立。またみずから労働者講座を組織する一方,労働者学校とマンハッタン女子職業学校の設立に助力した。長年全米児童労働委員会の議長をつとめ,子供の労働の廃止を唱えた。 1902年コロンビア大学の政治,社会,倫理学の教授に就任。主著『精神的理想の再建』 The Reconstruction of the Spiritual Ideal (1924) など。

アドラー
Adler, Dankmar

[生]1844.7.3. シュタットレンクスフェルト
[没]1900.4.16. シカゴ
アメリカの建築家。ドイツに生れ 1854年渡米。 69年に製図工となり,71年に独立。 79年以後は L.サリバンと協力,81年にアドラー・アンド・サリバン建築事務所を設立,ライヤーソン・ビル (1884) ,オーディトリアム・ビル (86~89) などを設計,95年の事務所解散まで,約 120の建物を建てた。著書"The Influence of Steel Construction and Plate Glass Upon the Development of Modern Style" (96) 。

アドラー
Adler, Cyrus

[生]1863.9.13. バンブーレン
[没]1940.4.7. フィラデルフィア
アメリカの代表的ユダヤ教学者。ペンシルバニア大学でセム学を修めたのち,ジョンズ・ホプキンズ大学でセム語を教えるかたわら,アメリカにおけるユダヤ教の発展のために積極的に活動した。 1888年にはアメリカ・ユダヤ教図書出版協会,92年にはアメリカ・ユダヤ史学会,1906年にはアメリカ・ユダヤ人委員会を創設した。『ユダヤ教年鑑』 (7巻,1899~1905) および『ユダヤ教事典』 (01~06) の編集者。

アドラー
Adler, Victor

[生]1852.6.24. プラハ
[没]1918.11.11. ウィーン
オーストリアの社会民主主義者。富裕な商家に生れ,ウィーン大学で薬学を専攻。一時ドイツのナショナリズム運動に加わっていたが,反ユダヤ人主義が鮮明になると,運動から離れ,A.ベーベルやエンゲルスとの交友を通じて社会主義運動に走った。 1889年オーストリア社会民主党を創設。平和主義,民族自決主義者として,第2インターナショナルでも指導的役割を演じた。

アドラー
Adler, Max

[生]1873.1.15. ウィーン
[没]1937.6.28. ウィーン
オーストリア・マルクス学派の代表的理論家。ウィーン大学で法学を学ぶ。オーストリア社会民主党に加わり,1904年 R.ヒルファーディンクと『Marx-Studien』を創刊。 20年ウィーン大学教授。マルクス主義新カント派的方法論で洗練した。

アドラー
Adler, Nathan Marcus

[生]1803.1.15. ハノーバー
[没]1890.1.21. ブライトン
イギリスの首席ラビ。ドイツで学んだのち,1829年,オルデンブルクのラビとなり,翌年父の M.アドラーの跡を継いで,ハノーバーのラビとなる。 44年,イギリス・ヘブライ教会の首席ラビに選ばれ,55年,ユダヤ師範学校を設立。ヘルマン・アドラーの父。

アドラー
Adler, Hermann

[生]1839.3.30. ハノーバー
[没]1911.7.18.
イギリスの首席ラビ。伝統的ラビの立場を保ちつつも,他の宗教とのかかわりにも積極的であり,ラビに対する一般的認識を高めたといわれる。説教集"Anglo-Jewish Memories and Other Sermons" (1906) がある。

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367日誕生日大事典 「アドラー」の解説

アドラー

生年月日:1863年5月28日
ドイツの社会経済学者,社会主義史家
1908年没

アドラー

生年月日:1873年1月15日
オーストリアの社会民主主義者
1937年没

アドラー

生年月日:1879年7月9日
オーストリアの社会主義者
1960年没

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