お茶屋屋敷跡(読み)おちやややしきあと

日本歴史地名大系 「お茶屋屋敷跡」の解説

お茶屋屋敷跡
おちやややしきあと

[現在地名]大垣市赤坂町

赤坂あかさか宿の南、現赤坂中学校の東にある。県指定史跡。徳川家康が江戸―京都間の旅宿用として沿道諸大名につくらせた簡易城郭(お茶屋)の一つで、本陣の始まりとされる。「赤坂宿古記録」や延享二年(一七四五)の赤坂宿往還地方万留書(矢橋文書)によれば、慶長九年(一六〇四)家康は翌年の上洛に際し、美濃の諸大名に命じて「岐阜御殿」を赤坂に移築し、お茶屋屋敷を造営させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む