百科事典マイペディア 「カッサンドロス」の意味・わかりやすい解説
カッサンドロス
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
アレクサンドロス大王没後その遺領を争ったディアドコイの一人で、のちマケドニア王(前305~前297)。摂政アンティパトロスの長男。ポリペルコンを破ってマケドニアを掌握(前317)したあと、帝国分割派のリシマコス、プトレマイオス、セレウコスらにくみしてアンティゴノス、デメトリオス父子と対立した。故王の母オリンピアス、妃ロクサネおよび遺児アレクサンドロス4世を次々と弑(しい)して(前316、前310/309)、アレクサンドロス大王の王統を根絶した。なお、カッサンドリア(ポテイダイア)とテサロニケ(サロニカ)とは、自分と妻との名前をつけて彼が建設した都市である。
[金澤良樹]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
「カサンドロス」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…大王の死後将軍たちの間に,帝国の統一支配を目ざすか,自己の領域支配を目ざすかの対立が生まれた。帝国宰相ペルディッカスの統一支配強行に対する反発(前321)にはじまる抗争は,大王の近親をふくむ多くの権力志向者の命を失わせ,結局エーゲ海を制圧し王を称したアンティゴノス1世,デメトリオス1世父子に対する,エジプト,トラキア,バビロニア,マケドニアをそれぞれ基盤とするプトレマイオス1世,リュシマコス,セレウコス1世,カッサンドロスKassandros連合軍の勝利となって終わる(前301)。しかしデメトリオスはカッサンドロスの死後マケドニア王となるが,前287年リュシマコスに追われる。…
…彼の死後フィリッポス3世の妻エウリュディケEurydikēと幼いアレクサンドロス4世の祖母(すなわち大王の母)オリュンピアスが軍を率いて戦い,オリュンピアスはフィリッポス3世夫妻を殺害する(前316)。しかし彼女はアンティパトロスの子でマケドニア支配を狙うカッサンドロスKassandrosに殺され,カッサンドロスはさらにアレクサンドロス4世とその母をも殺し,アルゲアダイの男系は絶えた。そしてフィリッポス2世の娘テッサロニケTessalonikēと結婚していたカッサンドロスはマケドニア王と称するに至った(前304)。…
※「カッサンドロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新