アレクサンドリアで活躍した数学者,天文・占星学者,地理学者。ラテン名Ptolemaeus Claudius。英語読みのトレミーPtolemyとしても知られる。127-141年にアレクサンドリアで天体観測をしていたという事実以外に,個人的情報はほとんど知られない。その主著《アルマゲスト》は地球中心体系に基づくもっとも精緻(せいち)な天文理論として,コペルニクス時代まで,古代,ビザンティン,イスラム,中世ヨーロッパの天文学の中心となったが,このほか,天文書としては,《アルマゲスト》のなかの計算用の数表だけをまとめた《簡易数表》,大部な《アルマゲスト》の縮冊版ともいうべき《惑星仮説》,あるいは占星術的内容をもった《テトラビブロス》(原題は〈占星術上の意味付け〉を意味するアポテレスマティカだが,4巻からなるので,テトラビブロス=四書と通称される)などのほか,地理学書としての《地理学入門》や音楽学・音響学書といえる《ハルモニア論》,純粋の数学書(例えば《ストイケイア論》)や光学(視覚学)に関する著作などがあったといわれる。これらの著作のすべてが今日に伝わるわけではないが,彼の関心がきわめて広く,一種の知的巨人であったことがこうしたリストからもわかるであろう。
プトレマイオスが基本的にアリストテレスの哲学体系を受け継いでいたことははっきりしているが,《アルマゲスト》では,アリストテレス流の同心球モデルを捨て,ヒッパルコスの周転円説を発展させ,さらにエカントequantの概念を適用して,能う限り正確に現象を記述できるようなモデルを展開している。地球中心説と等価な太陽中心説の数学的可能性は認めており,《アルマゲスト》が主として〈数学的〉問題意識で貫かれているという点を考えれば,地球中心説との優劣は論ずるべきではないともいえるが,プトレマイオスは運動学上の理由をあげて太陽中心説を捨てることを宣言している。周転円,離心円の組合せで惑星運動を記述するという彼のモデルは,天体の本性的運動を等速円運動以外認めないというプラトン以来の伝統に従った結果ではあるが,エカントの採用は事実上その伝統を裏切っており,後代〈偉大な書〉としての《アルマゲスト》のなかの重要な疑問点として残された(コペルニクスも太陽中心説採用に当たってこの疑問を契機の一つとしている)。
《テトラビブロス》は占星術書であって,《アルマゲスト》によって与えられた正確な天体の位置と運動を土台にして,それらが地上に与えるさまざまな影響を論じようとする。いわば《アルマゲスト》の続編である。しかしこの書は今日の目から見て極端に神秘的ではない。この書はイスラム世界を経て《アルマゲスト》とともに12世紀にラテン世界に紹介されたが,《地理学入門》のほうは15世紀までヨーロッパには伝わらなかった。
執筆者:村上 陽一郎 《地理学入門》(8巻)を著した彼は,ゲオグラフィア(地理学)を世界地図を描く学問であるとし,地方図を描くコログラフィアと区別している。第1~2巻は方格円筒図法を採るチュロスのマリヌスによる世界地図を批判し,円錐図法による地図作成法を説き,第3~7巻は当時知られていた全世界の約8000地点の経度緯度を地方ごとに列挙,第8巻では世界地図の区分について述べている。彼は経緯度を示す方式としてヒッパルコスの子午線・赤道を360等分する方式を採用したが,地球の大圏の値はポセイドニオスによる18万スタディオン(1°=500スタディオン。スタディオンはギリシアの長さの単位で,1スタディオンは約148~210m)を用い,世界の最西端幸福群島(カナリア群島)を通過する子午線から東180°のセラ・メトロポリス(中国にあたると思われるセリカの首都)まで,北はピュテアスの伝えたトゥーレから南はプラスム(現,デルガド)岬に至る世界を示した。大陸を180°よりさらに東に広がるものと考えたこと,アジアとアフリカが南方で陸続きとされインド洋が内海になっていること,インド半島の突出が顕著でなくタプロバネ(現,スリランカ)が過大視されているなどの欠陥もあったが,当時としては最高の地理的知識を集大成したものであり,8世紀にはイスラム世界に導入され,1409年あるいは10年にはアンゲルスによりラテン語訳され《コスモグラフィア(宇宙誌)》の名で後世の地図学に大きな影響を与えた。
執筆者:高橋 正
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2世紀前半に活躍したギリシアの天文学者。天動説の完成者。英語ではトレミーPtolemyとよぶ。伝記も残らず生没年は不詳。彼の名は、著書『数学大集成』(アルマゲスト)をはじめとする業績によって知られている。『アルマゲスト』は、ルネサンスまで、西洋の宇宙観を支配したが、そこに構想された宇宙像は、周転円説といわれる構造体系であって、ピタゴラスの等速円運動と、エウドクソスの離心円と、アポロニオスの周円転とを合成したものであった。
プトレマイオスはもっぱら惑星現象における位置と光度との変化を幾何学的に説明することを試みた。その思考方法も観測資料も、紀元前2世紀にロードス島で活躍した天文学者ヒッパルコスの業績を受け継ぎ、取り入れたといわれるが、独自に三角法の計算表を作成したり、四分儀をはじめとする観測器械を考案したり、月の運行の不等速や光の屈折や大気差などの観測、発見も行っている。
このほかにプトレマイオスには『地理学』と『テトラビブリオス』(四元の書)なる著述がある。前者には緯度・経度を付した円錐(えんすい)投影図法の地図が描かれ、後世、コロンブスの航海に用いられた。また後者は占星術の原典として中世を経て、今日に至るまでその分野では使用されるという。なお、彼の自然に対する哲学思想は諸先達の折衷学派に属する。
[島村福太郎]
プトレマイオス朝エジプトの第2代の王(在位前285~前246)。通称フィラデルフォスPhiladelphos(愛姉王)。プトレマイオス1世の子。紀元前285年に父との共同統治者、前283/282年に父の死とともに単独支配者となり、前278年ごろ実姉のアルシノエ2世Arsinoe Ⅱ(前316ころ―270)を妃として、プトレマイオス朝の兄弟姉妹婚の端緒を開いた。また両親やアルシノエ2世などを神として祀(まつ)り、君主神化の制度を始めた。東部地中海域の所領を確保し、エチオピア、南部アラビアにも勢力を伸ばして、インド貿易を促進し、プトレマイオス朝の集権的統制経済の体制を樹立し、学問研究所ムーセイオンと付属図書館を完成し、世界の七不思議に数えられた「ファロスの灯台」をアレクサンドリア港外に建設した。
[清永昭次]
エジプト王(在位前305/304~前283/282)。プトレマイオス朝の創始者。通称ソテルSoter(救済王)。マケドニア貴族ラゴスの子。アレクサンドロス大王の部将として東征に従い、紀元前323年、大王の死後エジプト総督の地位を得て、他のディアドコイ(後継者ら)と覇を争い、前305/304年以降、王を称し、東部地中海域の覇権を目ざして、パレスチナ、フェニキア、キプロス島を征服した。さらに小アジア、エーゲ海にも所領を拡大、プトレマイオス朝の中央集権的な行政制度と兵制の基礎を置き、エジプト的ギリシア的な神サラピスSarapisの崇拝を確立し、アレクサンドリアに学問研究所であるムーセイオンと付属図書館を創設した。またおそらく晩年に優れた『アレクサンドロス大王史』を著した。
[清永昭次]
プトレマイオス朝エジプトの第3代の王(在位前246~前221)。通称エウエルゲテスEuergetes(善行王)。プトレマイオス2世の子。紀元前246年父の死とともに王位を継ぎ、キレネ王女ベレニケ2世を妃として同国をあわせ、シリア、メソポタミアに進出し、小アジア、エーゲ海、トラキア地方の所領も保持して、プトレマイオス朝の領土を最大にした。国内では中央集権体制を整備し、サラピス神崇拝や君主神化を発展させた。
[清永昭次]
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生没年不詳
アレクサンドリアの天文学者,地理学者,数学者。2世紀頃のその地球中心の宇宙体系説を述べた『天文学大全』はアラビア語にも訳され,近世初めまで支配的学説となった。地球の大きさの測定,経緯線の設置でも知られる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…前253年離別された。アンティオコス2世はエジプトのプトレマイオス2世の娘ベレニケと政略結婚したが,死の直前ラオディケの子セレウコス2世を後継として指名した。王の没後ベレニケを支援しようとするプトレマイオス3世は第3次シリア戦争(前246‐前241。…
…王は行政(司法を含む),祭祀の最高責任者であり,みずから行うべき機能を委任して代行させるものとして官僚・神官の任命権を握り,要職には王族をあてた。地方には40あまり(プトレマイオス王朝では42)の州(ノモスnomos)が置かれ,州知事が任命された。州は守護神を共同信仰する共同体あるいは部族国家を原型とすると思われるが,初期王朝時代に整備された貯溜式灌漑水路網の一単位に相当し,それぞれが公儀宗教に組み込まれた州の守護神をもつ。…
…アレクサンドロス大王の友人プトレマイオスPtolemaios(プトレマイオス1世ソテル)が,大王の死(前323)後エジプトのサトラップ(総督)として赴任し,後継者(ディアドコイ)争いに勝利をおさめて開いた王国。前305か304‐前30年。…
…いままでに知られている最も長い巻物は,ラメセス2世の治世をほめたたえた大英博物館所蔵のハリス・パピルスで,33mにも達するが,一般に長尺のパピルス巻物は,富んだ人が死んだとき墓に埋めるための儀式用〈死者の書〉であり,実際に読むための文学的なテキストは短い巻物に書かれるのが普通であった。パピルス本が現れてから,エジプトの書物文化はめざましい発展をとげ,プトレマイオス朝の首府であったアレクサンドリアには,紀元前すでに大きな図書館(アレクサンドリア図書館)が建ち,盛時には一説に70万巻以上の蔵書を誇ったといわれる。
[ギリシア]
クレタ島では,ギリシアの先住民族であるミノア人によって,ギリシア文学の興るはるか以前の時代,少なくとも前2000年のころ,文字の行われていたことが今日十分に証明されている。…
…アレクサンドロス大王の友人プトレマイオスPtolemaios(プトレマイオス1世ソテル)が,大王の死(前323)後エジプトのサトラップ(総督)として赴任し,後継者(ディアドコイ)争いに勝利をおさめて開いた王国。前305か304‐前30年。…
…アレクサンドロス大王の友人プトレマイオスPtolemaios(プトレマイオス1世ソテル)が,大王の死(前323)後エジプトのサトラップ(総督)として赴任し,後継者(ディアドコイ)争いに勝利をおさめて開いた王国。前305か304‐前30年。…
…アレクサンドロス大王の友人プトレマイオスPtolemaios(プトレマイオス1世ソテル)が,大王の死(前323)後エジプトのサトラップ(総督)として赴任し,後継者(ディアドコイ)争いに勝利をおさめて開いた王国。前305か304‐前30年。…
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…アレクサンドロス大王の友人プトレマイオスPtolemaios(プトレマイオス1世ソテル)が,大王の死(前323)後エジプトのサトラップ(総督)として赴任し,後継者(ディアドコイ)争いに勝利をおさめて開いた王国。前305か304‐前30年。…
…アレクサンドロス大王の友人プトレマイオスPtolemaios(プトレマイオス1世ソテル)が,大王の死(前323)後エジプトのサトラップ(総督)として赴任し,後継者(ディアドコイ)争いに勝利をおさめて開いた王国。前305か304‐前30年。…
…アレクサンドロス大王の友人プトレマイオスPtolemaios(プトレマイオス1世ソテル)が,大王の死(前323)後エジプトのサトラップ(総督)として赴任し,後継者(ディアドコイ)争いに勝利をおさめて開いた王国。前305か304‐前30年。…
…アレクサンドロス大王の友人プトレマイオスPtolemaios(プトレマイオス1世ソテル)が,大王の死(前323)後エジプトのサトラップ(総督)として赴任し,後継者(ディアドコイ)争いに勝利をおさめて開いた王国。前305か304‐前30年。…
…アレクサンドロス大王の友人プトレマイオスPtolemaios(プトレマイオス1世ソテル)が,大王の死(前323)後エジプトのサトラップ(総督)として赴任し,後継者(ディアドコイ)争いに勝利をおさめて開いた王国。前305か304‐前30年。…
…プトレマイオス15世・カエサルの愛称。プトレマイオス朝エジプト最後の王。…
…アウグスティヌスの例のように,プラトンや新プラトン主義的宇宙観を身近に感じつつ,しかも,そこに含まれる魔術的・占星術的要素を忌避して留保を付するというのが,キリスト教の側のとった基本的態度であったといってよい。 一方,宇宙内で生起する現象,とくに天体現象に関しては,アレクサンドリア学派,とくに2世紀のプトレマイオスが《アルマゲスト》の中で展開したモデルによって,間然するところなく説明されることになった。彼は,前3世紀サモスのアリスタルコスの唱えた太陽中心的なモデルも十分検討したうえで,なお,地球中心的モデルを採用したが,それは天文学上の理由というよりは運動学的理由であったといってよい。…
…このことはテオフラストスを継いだリュケイオンの学頭ストラトンが,ついにアレクサンドリアに移ったことによっても象徴されている。ここではプトレマイオス朝の君主が学術研究の殿堂ムセイオンを建て,あらゆる研究施設(図書館,天文台,実験室,解剖室など)を整えて科学研究を熱心に奨励した。そこで科学は制度化,専門化され,アテナイ期の哲学的議論を超え出た高度に技術的かつ精密な科学が発達した。…
…もっとも古い記録は前2283年のメソポタミアにさかのぼることができ,前8世紀の初めころからはメソポタミアや地中海沿岸のほかにヨーロッパのものも加わってくる。これらの古記録を月の運動理論の改良に用いた最初の研究者はプトレマイオスであるが,同じ資料は現代に至るまで繰り返し用いられている。また,月食は日食と同じく凶兆とされたため,これらの記録は歴史的な事件,とくに戦争などと密接に関係づけて述べられていることが多いので,天文年代学の貴重な資料でもある。…
…その後アリストテレスは同心天球説に依拠しながら,階層構造的に秩序づけられたコスモスとしての宇宙論を完成させた。そしてアリストテレスの宇宙論は,古代末期にプトレマイオスの練りあげた離心円・周転円の天文学によって部分的に修正を受けながらも,その後2000年近くもの間,ローマ,アラビア,ヨーロッパへと受け継がれながら,つねに支配的な地位を確保することになる。これが解体を始める契機となったのは,16世紀中葉にコペルニクスの提唱した地動説であるが,世界像が価値的な観点から完全に脱却するには,デカルトの出現を待たねばならなかった。…
…北緯8゜5′,東経77゜36′に位置する。古くは,プトレマイオスの地図にコマリア・アクロンKomaria Akronと記載され,マルコ・ポーロもコマリComariと呼んだ。独立後は,岬の先端に建つ処女神クマリを祀る寺院の名にちなんで,カニヤー・クマリKanyā Kumariと呼ぶ。…
…古くは,ギリシア人やローマ人が,シリアやアラビア半島のアラブをさして呼んだギリシア語のサラケノイSarakēnoi,ラテン語のサラケニSaraceniなどの語に由来するが,その語源はアラビア語のシャルクsharq(〈東〉の意),サフラーṣaḥrā’(〈砂漠〉の意)など諸説があり,定説はない。2世紀のプトレマイオスはその地理書で,サラセンの語を用いてアラブに言及している。7世紀にアラブ・イスラム軍がビザンティン帝国を破り,西アジアから北アフリカ,イベリア半島までの地域を支配するようになると,サラセンは,イスラム教徒をさす呼称として用いられるようになり,同地域を支配したウマイヤ朝やアッバース朝は,しばしば〈サラセン帝国〉と呼ばれた。…
…当時のギリシアの価値観には,そうした傾向があったのである。 ギリシアには後にも円錐曲線を扱ったペルゲのアポロニオス,正弦の表をつくり惑星の運動を記述したプトレマイオス,記号代数を用い始め,数論の問題を扱ったディオファントスなどの数学者があり,それぞれ後世に影響を及ぼしている。
[代数学の起源――アラビアの数学]
前1世紀に帝政ローマが成立し,ギリシア文化圏も政治的にはその制圧下におかれた。…
…ここにはプレヤデスを単独星座にした黄道13星座,北天19星座,南天15星座が記録されている。さらに下って2世紀に活躍した天文学者プトレマイオスはその著作《アルマゲスト》の第7,第8の2巻を星表とし,ここに48星座を記録している。またローマの詩人オウィディウスは叙事詩《転身物語》でギリシア神話の神々や英雄の物語を述べているが,今日語りつがれている星座の神話はこの著作に負うところが多い。…
…地図に経緯線を記入した最初の人はアレクサンドリアのエラトステネス(前3世紀)とされており,著名な地点のみを通る直線の経緯線が不等間隔に引かれていたという。地図学の水準を今日と大差ないまでに引き上げたのは,後2世紀のアレクサンドリアの天文学者プトレマイオスで,正距円錐図法とプトレマイオス第2図法を考案し,約8000地点に及ぶ世界各地の経緯度数値を資料として世界図を描いた。図形の特徴としては,東方に延びるアフリカがアジア東南部と接続していること,インド半島がなく,赤道にまたがる大きな島タプロバネ(セイロン島)があることなどである。…
…敦煌が中国より西域に通ずる門戸であるという体制は,このように前漢時代にすでに整い,以後その役割をつとめつづけ,西方の世界にもシルクロード上にある都市の名として敦煌の名が伝えられた。漢民族以外の人々による敦煌に関する記録として最も古いのは,2世紀のアレクサンドリアの学者プトレマイオスの《地理書》で,その第16章にセリカの都市として挙げたThroanaが敦煌のことであるとみなされている。 敦煌は,何といっても河西通廊の最西端にあり,中原から遠く離れているので,中央政府が弱体化すると,しばしば独立ないし半独立し,ときには近傍のオアシス都市と連合して小国家をつくった。…
…後1世紀のギリシアの船乗りディオゲネスは,東アフリカ海岸から内陸部にはいり,ナイル川の水源が二つの湖であるとの情報をもたらした最初の人である。2世紀のアレクサンドリアの地理学者プトレマイオスはナイル水系図に二つの大湖を描いた。中世には,ナイル川,ニジェール川,コンゴ川,チャド湖は同一水系に属するものとみなされていた。…
…生涯についてはまったくわからない。西方イスラム世界で展開されていたプトレマイオス批判を受け継ぎ,独自の理論を提唱した。これはプトレマオスが用いた黄道面付近での離心円や周転円を排し,地球を中心とする天球の球面上でのみ,天体の運動を説明しようとするものであった。…
※「プトレマイオス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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