プトレマイオス(読み)ぷとれまいおす(英語表記)Klaudios Ptolemaios

日本大百科全書(ニッポニカ) 「プトレマイオス」の意味・わかりやすい解説

プトレマイオス
ぷとれまいおす
Klaudios Ptolemaios

2世紀前半に活躍したギリシア天文学者天動説の完成者。英語ではトレミーPtolemyとよぶ。伝記も残らず生没年は不詳。彼の名は、著書『数学大集成』(アルマゲスト)をはじめとする業績によって知られている。『アルマゲスト』は、ルネサンスまで、西洋の宇宙観を支配したが、そこに構想された宇宙像は、周転円説といわれる構造体系であって、ピタゴラスの等速円運動と、エウドクソスの離心円と、アポロニオスの周円転とを合成したものであった。

 プトレマイオスはもっぱら惑星現象における位置と光度との変化を幾何学的に説明することを試みた。その思考方法も観測資料も、紀元前2世紀にロードス島で活躍した天文学者ヒッパルコスの業績を受け継ぎ、取り入れたといわれるが、独自に三角法の計算表を作成したり、四分儀をはじめとする観測器械を考案したり、月の運行の不等速や光の屈折や大気差などの観測、発見も行っている。

 このほかにプトレマイオスには『地理学』と『テトラビブリオス』(四元の書)なる著述がある。前者には緯度・経度を付した円錐(えんすい)投影図法の地図が描かれ、後世、コロンブスの航海に用いられた。また後者は占星術の原典として中世を経て、今日に至るまでその分野では使用されるという。なお、彼の自然に対する哲学思想は諸先達の折衷学派に属する。

[島村福太郎]


プトレマイオス(2世)
ぷとれまいおす
Ptolemaios Ⅱ
(前308―前246)

プトレマイオス朝エジプトの第2代の王(在位前285~前246)。通称フィラデルフォスPhiladelphos(愛姉王)。プトレマイオス1世の子。紀元前285年に父との共同統治者、前283/282年に父の死とともに単独支配者となり、前278年ごろ実姉のアルシノエ2世Arsinoe Ⅱ(前316ころ―270)を妃として、プトレマイオス朝の兄弟姉妹婚の端緒を開いた。また両親やアルシノエ2世などを神として祀(まつ)り、君主神化の制度を始めた。東部地中海域の所領を確保し、エチオピア、南部アラビアにも勢力を伸ばして、インド貿易を促進し、プトレマイオス朝の集権的統制経済の体制を樹立し、学問研究所ムーセイオンと付属図書館を完成し、世界の七不思議に数えられた「ファロスの灯台」をアレクサンドリア港外に建設した。

[清永昭次]


プトレマイオス(1世)
ぷとれまいおす
Ptolemaios Ⅰ
(前367/366―前283/282)

エジプト王(在位前305/304~前283/282)。プトレマイオス朝の創始者。通称ソテルSoter(救済王)。マケドニア貴族ラゴスの子。アレクサンドロス大王の部将として東征に従い、紀元前323年、大王の死後エジプト総督の地位を得て、他のディアドコイ(後継者ら)と覇を争い、前305/304年以降、王を称し、東部地中海域の覇権を目ざして、パレスチナ、フェニキア、キプロス島を征服した。さらに小アジア、エーゲ海にも所領を拡大、プトレマイオス朝の中央集権的な行政制度と兵制の基礎を置き、エジプト的ギリシア的な神サラピスSarapisの崇拝を確立し、アレクサンドリアに学問研究所であるムーセイオンと付属図書館を創設した。またおそらく晩年に優れた『アレクサンドロス大王史』を著した。

[清永昭次]


プトレマイオス(3世)
ぷとれまいおす
Ptolemaios Ⅲ
(前284ころ―前221)

プトレマイオス朝エジプトの第3代の王(在位前246~前221)。通称エウエルゲテスEuergetes(善行王)。プトレマイオス2世の子。紀元前246年父の死とともに王位を継ぎ、キレネ王女ベレニケ2世を妃として同国をあわせ、シリア、メソポタミアに進出し、小アジア、エーゲ海、トラキア地方の所領も保持して、プトレマイオス朝の領土を最大にした。国内では中央集権体制を整備し、サラピス神崇拝や君主神化を発展させた。

[清永昭次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プトレマイオス」の意味・わかりやすい解説

プトレマイオス
Ptolemaios, Klaudios

[生]100頃
[没]170頃
2世紀頃活躍したギリシアの天文学者,数学者,地理学者。英語ではトレミー Ptolemyという。アレクサンドリアで天文観測を行なった。生地はプトレメイス・ヘルミイといわれる。彼以前の天文学研究の集大成『アルマゲスト』を著し,地球中心の宇宙体系と,離心円,周転円の組み合わせで諸惑星の運動を説明する精密な天文学理論を完成させた。特にエカントと呼ばれる工夫を導入することにより,従来の理論の精度を飛躍的に向上させた。またヒッパルコスの星表を発展させ 1000以上の恒星を含む星表を作成した。彼の天文学理論はその後 16世紀にいたるまで絶大な影響を残した。幾何学者としても優れており,三角法の研究,精密な弦の表の作成,射影幾何学,空間の次元論,平行線公理の研究などが知られる。また地理学上の業績は大著『地理学便覧』から知られ,ヒッパルコスの業績を発展させ,地中海沿岸諸国各地の経緯度を定めた地図を作成したほか,地図の円錐投影法,天体観測に基づく補正法などを示し,後代に長く影響を与えた。ほかに光の屈折理論などを扱った光学や,音楽の研究も残しており,力学の研究も行なったといわれている。

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