改訂新版 世界大百科事典 「アンティゴノス朝」の意味・わかりやすい解説
アンティゴノス朝 (アンティゴノスちょう)
Antigonos
マケドニアのアレクサンドロス大王の部将アンティゴノス1世を祖とするヘレニズム王朝。前306-前168年。アンティゴノスとその子デメトリオス1世がアレクサンドロス帝国の版図を彼らの支配下に置こうとした野望は前301年イプソスの敗戦により挫かれた。アンティゴノス1世の孫アンティゴノス2世はマケドニアに王朝を確立。その甥アンティゴノス3世はその勢力をギリシアに確立。その甥フィリッポス5世は東進するローマに対抗するためカルタゴのハンニバルと同盟,ローマと戦って一応の成功を収め(第1次マケドニア戦争,前215-前205),シリア王アンティオコス3世と同盟しローマと戦ったが,ギリシア人の自由擁護をうたうローマの将軍に名をなさしめた(第2次マケドニア戦争,前200-前197)。その子ペルセウスも父の志をついだが前168年決定的敗北を喫し,彼自身ローマで捕虜として死没,王朝は滅びた。
→マケドニア
執筆者:井上 一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報