朝日日本歴史人物事典 「カッテンデイケ」の解説
カッテンデイケ
生年:1816.1.22
幕末のオランダの海軍軍人。正式にはハイセン・ファン・カッテンデイケ。1856年勅命で植民大臣付きに補せられる。57年3月,江戸幕府がオランダ政府に建造を委託した2隻のうちコルベット艦ヤーパン号(咸臨丸)が竣工,これの回航も兼ねて,長崎海軍伝習所オランダ海軍第1次教師団長ペルス=ライケンの後任として安政4年8月5日(同年9月22日)長崎に来着,9月15日(11月1日)業務を引き継いだ。ライケンが航海科出身であったのに対して,運用科出身者として船乗りの常識と艦内規律を教え,咸臨丸で実地巡航をこなした。安政6年10月10日(11月4日)帰国,その後海軍大臣に就いた。『長崎海軍伝習所の日々』(水田信利訳)の著書を残す。<参考文献>藤井哲博『長崎海軍伝習所』
(内海孝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報