日本大百科全書(ニッポニカ) 「カノッサ事件」の意味・わかりやすい解説
カノッサ事件
かのっさじけん
ドイツ王(神聖ローマ皇帝)ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に屈服して赦免を得た事件。帝権と教権との争い(聖職叙任権闘争)の頂点をなす。かねてから皇帝の集権政策に不満を抱くドイツ諸侯は、1076年に王が教皇から破門されると、これを機に王廃位を決議した。王はこの危機を回避するため、翌77年1月北イタリアのアペニン山中のカノッサCanossa城に滞在する教皇を訪ね、雪中を3日間城門の前にたたずんで赦免を請い、ようやく破門を解いてもらった。これは、帝国の皇帝教皇主義がローマの至上権の前に屈し、王が諸侯との争いに教皇を仲裁者として認めたことを意味し、皇帝権の敗北を示す。この事件が「カノッサの屈辱」とよばれるゆえんもここにある。
[野口洋二]
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