日本大百科全書(ニッポニカ) 「キューバ侵攻事件」の意味・わかりやすい解説
キューバ侵攻事件
きゅーばしんこうじけん
1961年4月にアメリカ政府が、キューバの革命政権を打倒するために、亡命キューバ人よりなる反革命軍をキューバに侵攻させた事件。61年初め、アメリカ政府はキューバと国交関係を断絶して、米・キューバ関係は革命以来最悪の状態となったが、それに先だつ60年3月、アメリカのアイゼンハワー大統領はCIAに対し、将来の侵攻に備えて亡命キューバ人をグアテマラで訓練するよう指示していた。61年1月にアメリカではケネディが大統領となり、侵攻作戦は同大統領の決断で実行に移された。この年の3月、アメリカに亡命していたキューバ人グループは元首相のホセ・ミロ・カルドナを全国革命会議の議長に選び、ミロ・カルドナは4月初めに声明を出して、カストロが革命を裏切り独裁を維持していると非難し、キューバ国民がカストロ打倒に立ち上がるよう呼びかけた。4月17日侵攻が開始され、侵攻軍はキューバのコチノス湾のヒロン海岸に上陸し、ニカラグアから飛来した降下部隊もこれに加わった。総数約1500人の侵攻軍に対してキューバ革命軍は迅速に対応し、20日までにすべての侵攻軍を撃退して、1200人以上を捕虜とした。キューバ内部では、反革命側が期待した国民の蜂起(ほうき)は起こらなかったばかりか、この侵攻で人民の団結はいっそう強まり、「アメリカ帝国主義」に対する自信を深める結果となった。この侵攻の前日、カストロ首相はキューバの革命が社会主義革命であると初めて宣言した。
[加茂雄三]
『加茂雄三編『ドキュメント現代史11 キューバ革命』(1973・平凡社)』