クトゥブッディーンアイバク(読み)くとぅぶっでぃーんあいばく(その他表記)Qub al-Dīn Aibak

デジタル大辞泉 の解説

クトゥブッディーン‐アイバク(Quṭb al-Dīn Aibak)

[?~1210]インド最初のイスラム王朝の王。奴隷から身を起こし、インドを支配した。→奴隷王朝

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

クトゥブッディーン・アイバク
くとぅぶっでぃーんあいばく
Qub al-Dīn Aibak
(?―1210)

インドのデリー・サルタナット最初の王朝、いわゆる奴隷王朝の創始者で、トルコ人。ゴール朝のムハンマドの奴隷出身の部将で、インド侵入軍を指揮し1192年にヒンドゥー王プリトゥビラージの軍を破り、トルコ系イスラム教徒による西北インド支配の基礎を整えた。1206年にムハンマドが暗殺されるとインド征服領の支配権を握り、デリーとラホールとを拠点として権力を確立することに成功し、その軍は、東はベンガル、南はグジャラート地方にまで及んだ。デリーやアジメール(ラージャスターン州)には、彼が造営させた巨大なモスク廃墟(はいきょ)が今日なお残っている。

[荒 松雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

クトゥブッディーン・アイバク

「アイバク」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のクトゥブッディーンアイバクの言及

【インド】より

…トルコ系の両王朝は11世紀初頭から侵入・略奪を繰り返し,分立抗争していたヒンドゥー教徒の諸国を破って,しだいにインド支配の足場を固めた。そして1206年,ゴール朝の将軍で奴隷出身のクトゥブッディーン・アイバクが,デリーで独立してインド最初のムスリム王朝(奴隷王朝)を創始した。その後の320年間,デリーに都を置きデリー・サルタナット(デリー・スルタン朝)と総称される五つのムスリム王朝が交代した。…

※「クトゥブッディーンアイバク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

南海トラフ臨時情報

東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...

南海トラフ臨時情報の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android