アメリカの政治家。4月12日バージニアで生まれ、のちケンタッキーに移る。州議会議員を経て、連邦下院議員となり、その後、上院議員、国務長官の要職を歴任した。1812年の対イギリス戦争に際しては、「戦争鷹(ウォー・ホークス)」の一人として開戦を主張した。ミズーリの連邦加入をめぐる論争に際し、また、28年の関税法とそれに続く「無効宣言」論争やカリフォルニアの連邦加入と奴隷制をめぐる論争などに際し、南北の妥協を導き出す調停者の役割を果たしたところから、「妥協の名手」ともよばれた。また、保護関税、国内交通の改善の諸策を含む「アメリカン・システム」を唱道し、幾度か大統領の座を志向したが果たさずに終わった。南北戦争に至る政治過程にあって地域的利害の交差に苦悩したが、ウェブスター、カルフーンと並んで雄弁をもって知られた。
[中谷義和]
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