ウェブスター(読み)うぇぶすたー(その他表記)Ben Webster

デジタル大辞泉 「ウェブスター」の意味・読み・例文・類語

ウェブスター(John Webster)

[1580ころ~1625ころ]英国の劇作家。作「白魔」「モルフィ公爵夫人」など。

ウェブスター(Noah Webster)

[1758~1843]米国の辞書編修者。1828年、英語辞典「An American Dictionary of the English Language」を刊行。のちのウェブスター辞典のもととなった。

ウェブスター(Jean Webster)

[1876~1916]米国の女流小説家。児童小説「あしながおじさん」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ウェブスター」の意味・読み・例文・類語

ウエブスター

  1. [ 一 ] ( John Webster ジョン━ ) イギリスの劇作家。ジェームズ朝退廃期の精神的不安を描いた悲劇を発表。作品「白魔」「モルフィ公爵夫人」など。(一五八〇頃‐一六三五頃
  2. [ 二 ] ( Noah Webster ノア━ ) アメリカの辞典編集者、教科書編纂家。弁護士を開業するかたわら、辞書の編集に従事。一八二八年、英語辞典 “An American Dictionary of the English Language” を刊行。(一七五八‐一八四三
  3. [ 三 ] ( Jean Webster ジーン━ ) アメリカの女流小説家。主著「あしながおじさん」。(一八七六‐一九一六
  4. [ 四 ] ( Webster ) ウエブスターの名を冠したアメリカの英語辞書。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウェブスター」の意味・わかりやすい解説

ウェブスター(Ben Webster)
うぇぶすたー
Ben Webster
(1909―1973)

アメリカのジャズ・サックス奏者。本名ベンジャミン・フランシス・ウェブスターBenjamin Francis Webster。ミズーリ州カンザス・シティに生まれ、バイオリンクラリネットなどを経験した後、ピアニストとして演奏活動を始める。レスター・ヤングの父ウィリス・ハンディ・ヤングWillis Handy Youngの家族バンドに参加した時に、アルト・サックスの奏法を学び、後にテナー・サックスに転向する。

 ウィルバーフォース大学卒業後、1932年にカウント・ベイシー楽団の前身である、同郷のベニー・モーテンBennie Moten(1894―1935)の楽団に参加。1933年ニューヨークに出て、1934年フレッチャー・ヘンダーソンFletcher Henderson(1897―1952)、ベニー・カーターBenny Carter(1907―2003)の楽団に参加する。1936年から1937年にかけては、キャブ・キャロウェイCab Calloway(1907―1994)、スタッフ・スミスStuff Smith(1907―1967)の楽団、1939年にはテディ・ウィルソンTeddy Wilson(1912―1986)の楽団に加わる。

 このように彼は1930年代の有力な「スウィング・バンド」のテナー・サックス奏者を歴任するが、もっとも注目すべきは、1940年から1943年まで参加したデューク・エリントン楽団での経歴である。エリントンはウェブスターの個性的な音色に魅了され、彼がバンドに参加してからは、ほとんどの曲目でウェブスターにソロをとらせている。また彼が参加した時期は、ベース奏者のジミー・ブラントンJimmy Blanton(1918―1942)をはじめ、エリントン楽団がもっとも充実したメンバーをそろえていた時代でもあり、エリントンの楽団であるにもかかわらず「ブラントン・ウェブスター・バンド」と通称されている。この時期の演奏は、3枚組のCD『ブラントン・ウェブスター・バンド』 Never No Lament; The Blanton-Webster Bandに収められており、これはエリントンの代表作でもある。

 1943年にはソロ・プレイヤーとして独立し、ニューヨークのジャズの中心であった52丁目のジャズ・クラブに出演、1948年には再びエリントン楽団に短期間参加する。その後、有能なジャズ・プロデューサー、ノーマン・グランツNorman Granz(1918―2001)の率いる興行ジャズ・バンド、ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニックJazz At The Philharmonic(J. A. T. P.)に加わりワールド・ツアーに参加する。1950年代には故郷に戻り、時折演奏活動を行うという状況であったが、1962年ジャズ・クラブ「ハーフノート」に出演し話題を呼んだ。

 1964年にはヨーロッパに渡り、オランダに居住してヨーロッパ各地で演奏した。1960年代末にコペンハーゲンに移り住み、1973年オランダのアムステルダムで亡くなるまで演奏活動を続けた。代表作には1956年にピアノ奏者のアート・テータムと共演した、『アート・テイタム~ベン・ウェブスター・クァルテット』、1957年の『ソウルヴィル』がある。彼のテナー奏法は、ジャズ・テナー・サックスの父といわれたコールマン・ホーキンズの影響を受けているが、エリントンが重用したように独特の音色とフレージングを持っている。特に、サックスの音に呼気を巧みに融合させ、かすれたようにも聞こえる「サブ・トーン」と呼ばれる技法を使っての表現力は、右に出るものはない。

[後藤雅洋]


ウェブスター(Daniel Webster)
うぇぶすたー
Daniel Webster
(1782―1852)

アメリカの政治家。1月18日ニュー・ハンプシャー生まれ。連邦下院議員、上院議員、国務長官の要職を歴任し、南北対立の緊張が深まるなかにあって、南部の理論に対抗して北東部の雄弁な代弁者の役割を務め、また、連邦の統一を主張した。ニュー・イングランドを中心とした製造業の発展とともに、保護関税論に転じ、1828年の関税法に対する南部の反対とその後の「無効宣言」論争のなかで、これに対抗する論陣を張り、30年のR・V・ヘーンとの論争のなかで、連邦の統一と一体性を強く主張した。しかし、第二合衆国銀行の特許更新問題や財政政策をめぐってジャクソン大統領との対立を深め、やがてホイッグ党の結成にあたって指導的役割を果たした。42年にタイラー治下の国務長官としてウェブスター‐アシュバートン条約を締結し、アメリカ・カナダ国境を画定した。「一八五〇年の妥協」を連邦分裂の回避という点から支持し、反奴隷制派の反発を招くところとなった。52年10月24日没。

[中谷義和]


ウェブスター(John Webster)
うぇぶすたー
John Webster
(1580ころ―1634以前)

イギリスの劇作家。後期エリザベス朝演劇を代表する悲劇作家だが、正確な生没年代をも含めて、その伝記的事実はきわめてわずかしか知られてはいない。作品から判断する限り、学識もかなりなものだが、学歴もまったく不明。劇作家としての出発は、興行師ヘンズローPhilip Henslowe(1550―1616)の依頼による合作者としてらしく、1602年に他の3人とともに合作した記録が残っているが、これが信頼に足る最初の資料である。その後の一時期、少年劇団のためにも執筆したが、最盛期は1610年ごろであり、このころ彼の名を不朽にした『白魔』(1611/1612)、『モルフィ公爵夫人』(1613/1614)の二大傑作悲劇を、アン女王一座、国王一座という成人劇団のために書いている。これらはともに残忍な復讐(ふくしゅう)悲劇だが、毒殺、絞殺、狂人の舞踏などはでな道具立てと、その間に瞥見(べっけん)する鋭い人間観察を示すアフォリズムにより、当時の退廃気分に過不足なき演劇的表現を与えたところにその特色がある。また従来の復讐悲劇とは異なり、復讐者より被害者に重点が置かれているのも注目に価する。ほかに、悲喜劇『悪魔の訴訟』(1617)などがある。

玉泉八州男

『関本まや子訳『モルフィ公爵夫人』(『エリザベス朝演劇集』所収・1974・筑摩書房)』『I・スコット・キルヴァート著、尾崎寄春訳『ウェブスター』(1971・研究社出版)』


ウェブスター(Noah Webster)
うぇぶすたー
Noah Webster
(1758―1843)

アメリカの辞典学者、教育家、政治家。コネティカット州に生まれ、エール大学卒業。1823年、法学博士。学校教師時代に国語教科書革新を企て著した『綴字(つづりじ)読本』(1783)は全国に歓迎された。次に辞典に力を入れ、1806年『簡約英語辞典』を編集、1800年ころからは語源の研究に熱中し、20か国語対照表を作成した。それを生かして大辞典を企て、1824~1825年イギリスの国語の実体研究のためケンブリッジ大学に滞在。ついに1828年に全2巻の『アメリカの英語辞典』An American Dictionary of the English Languageを発行した。これは7万語の大辞典で、今日なお盛んに利用されている。とくに日本の英語辞典の基礎ともなった。

[彌吉光長 2018年6月19日]


ウェブスター(Jean Webster)
うぇぶすたー
Jean Webster
(1876―1916)

アメリカの女流作家。本名Alice Jane Chandler Webster。ニューヨーク州に生まれる。バッサー大学卒業後、『パッティ、大学へ行く』(1903)、『あしながおじさん』(1912)、『続あしながおじさん』(1915)などで文名を確立した。軽妙でユーモアに満ちた文体と、作品を流れるアメリカ本来の理想主義が、現在も若い読者をひきつけている。文豪マーク・トウェーンは母方の叔父にあたる。1915年、弁護士と結婚したが、翌年、女子を生んでまもなく死亡した。

[神宮輝夫]

『内田庶訳『パティ、カレッジへ行く』(1967・講談社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ウェブスター」の意味・わかりやすい解説

ウェブスター
John Webster
生没年:1580?-1634?

イギリスの劇作家。他の多くの劇作家と共作したことは知られているが,その生涯の細部は明らかでない。当時流行した〈人物類型素描集〉の一つに執筆したものを除いて,単独作として今日に残っているものは,2編の流血悲劇と1編の悲喜劇のみである。悲劇《白魔》(1609-12)は,何ものによっても阻まれない激しい愛欲と強靱な意志の持主である淫婦ビットリアが,愛人ブラキアーノを教唆してその妻イザベラと自己の夫を殺させ,裁判の場でも悪びれることなく無実の主張を貫き通してブラキアーノとの生活を続けるが,ついにイザベラの兄たちによって復讐される,というセンセーショナルな筋をしくんでおり,虚無的なヒロインの悪の巨大さと,脇人物たちの大半を占めるマキアベリ的悪党たちのからみ合いが,印象的である。いま一つの悲劇《モールフィ公爵夫人》(1614)を支える道徳的立場は《白魔》と同じではないが,逆境においてあくまで自己に忠実に生きようとするヒロインの勇気と傲岸,個人的動機を超えて陰惨な破壊にふける加虐的な悪党たちの性格の複雑さ,劇全体を包む官能と死と不条理の雰囲気において,両者は互いに共通するものを持つといえる。なまなましい感覚的なイメジャリと巧緻な比喩に支配された台詞の悽愴な詩情と,狂おしい情念の叫びに満ちた悲劇的緊張は,シェークスピアをおいて他に比類がなく,同時代の劇作家はもちろん,近代の作家たちにも大きな影響を及ぼした。
執筆者:


ウェブスター
Noah Webster
生没年:1758-1843

アメリカの辞書編集者,教科書著作者,法律家,ジャーナリストコネティカット州ハートフォードの生れ。イェール大学学生時代,独立戦争に自らも参戦。その体験が,政治的独立とあわせて,言語もイギリスから独立すべきであるという彼の精神の基盤となった。この理念にそって,アメリカ独自の教科書,辞書を公にしている。1783年に綴字・文法・読本の3部からなる教科書を出版し,綴字法の簡易化と愛国的内容で,ほとんどのアメリカの学校で採用された。1828年には,豊富な語数と明確な定義が特徴である《アメリカ版英語辞典An American Dictionary of the English Language》を出版。以後のウェブスター辞典Webster's Dictionaryのもととなり,今日もなお改訂・増補されている。愛国的立場からアメリカ特有の単語,新語義や用法の採録に力を注ぎ,その後のアメリカにおける綴字法や辞書編集に与えた影響は大きい。
アメリカ英語
執筆者:


ウェブスター
Daniel Webster
生没年:1782-1852

アメリカの政治家。ニューハンプシャー州生れ。当初ニューイングランドの海運業者の立場から自由貿易を唱え,フェデラリスト党の連邦下院議員となる。法律家としてダートマス大学事件などで活躍後,ニューイングランドにおける産業資本の発達を背景に熱烈な保護関税論者として上院議員(1827-41)をつとめる。州権論者ロバート・Y.ヘインとの論争(1830)をはじめ,連邦主義を代表する雄弁家として有名。1830年代にはホイッグ党に加わり,党指導者の一人となった。ハリソン,タイラー,フィルモアの各大統領の下で国務長官をつとめ,42年にはメーン州とイギリス領カナダとの国境問題を処理してウェブスター=アシュバートン条約を締結した。その後大統領にはなれなかったが,西部のH.クレー,南部のJ.C.カルフーンと並び,19世紀前半のニューイングランドを代表する指導的上院議員として政界に重きをなした。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウェブスター」の意味・わかりやすい解説

ウェブスター
Webster, Daniel

[生]1782.1.18. ニューハンプシャー,ソールズベリー
[没]1852.10.24. マサチューセッツ,マーシュフィールド
アメリカの法律家。東北部の代表的連邦派政治家。アメリカ=イギリス戦争 (1812) に反対して平和的解決を主張,1812年連邦下院に当選,政界に入る。 16年第二合衆国銀行設立のため活躍したが,最初の保護関税法 (16) については,彼の地盤ニューイングランドでは,製造業者より貿易業者の利害のほうが大きく,政治的立場を不利にすることなどから反対。 27年マサチューセッツ州から連邦上院に選出される。 28年の「唾棄すべき関税法」と呼ばれる保護関税には,北部の工業が発展してきたことから賛成にまわった。雄弁家で,30年の R.ヘインとの討論は有名。そのなかで,連邦は州に優先し,「自由と連邦は現在もそしてこれからも永久に1つの切り離せないものである」と述べている。 34年 H.クレーら反ジャクソン勢力とともにホイッグ党を結成。 41年国務長官。 42年ウェブスター=アシュバートン条約締結ののち,43年辞任。再び連邦上院議員 (45~50) ,国務長官 (50~52) をつとめ,奴隷制廃止を主張。しかし廃止による連邦分裂には強く反対し,奴隷制をめぐって南北が激しく対立するに従い,政治の場から姿を消した。

ウェブスター
Webster, John

[生]1580頃.ロンドン
[没]1634頃.ロンドン
イギリスの劇作家。仕立屋の子に生れた。伝記的資料に乏しいが,最初は興行師ヘンズローに雇われ,戯曲を共作していたらしい。現在では彼の単独作と認められる戯曲は3編しか残っていないが,その声価は2編の悲劇,『白魔』 The White Devil (1612) と『モルフィ公爵夫人』 The Duchess of Malfi (14) によっている。いずれもイタリアの実話に取材したもので,凄惨な流血悲劇であるが,全編をおおう暗い死の影とペシミスティックな人生観を豊富な形象や象徴によって描いたもので,ジェームズ朝 (03~25) の代表的悲劇と評されている。ほかに悲喜劇『悪魔の訴訟』 The Devil's Law-Case (17頃) がある。

ウェブスター
Webster, Noah

[生]1758.10.16. コネティカット,ウェストハートフォード
[没]1843.5.28. コネティカット,ニューヘーブン
アメリカの辞典編集者。エール大学卒業後『英語文法提要』A Grammatical Institute of the English Language (1783~85) を出版。この第1部である『アメリカ綴り字教科書』 The American Spelling Book (83) は1億部も売れたという。その後新聞や雑誌の発行者,弁護士などを経て『英語簡約辞典』 Compendious Dictionary of the English Language (1806) を出版,のちこれを改訂増補した『アメリカ英語辞典』 An American Dictionary of the English Language (28) を出した。

ウェブスター
Webster

アメリカ合衆国,マサチューセッツ州南部,コネティカット州との州境近くにある町。 18世紀初めに入植が始る。地名は政治家の D.ウェブスターにちなむ。 1811年繊維工場が建設され,19世紀中頃,北のウースターと南のノーウィッチ間に鉄道が開通したため,繊維工業が一層発達した。現在も繊維と靴の製造が主産業。人口1万 6196 (1990) 。

ウェブスター
Webster, Jean

[生]1876.7.24. ニューヨーク,フリドニア
[没]1916.6.11. ニューヨーク
アメリカの女流児童文学者。トウェーンは彼女の大叔父にあたる。代表作は書簡体の小説『あしながおじさん』 Daddy-Long-Legs (1912) とその続編『なつかしい敵さん』 Dear Enemy (15) 。

ウェブスター
Webster, Sir Charles Kingsley

[生]1864.4.25. リバプール
[没]1961.8.21. ロンドン
イギリスの歴史家。専門は 19世紀イギリス外交史。 1932年からロンドン大学で教鞭をとる。現実の外交政策にも参画。 44年ダンバートン=オークス会議に出席。

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百科事典マイペディア 「ウェブスター」の意味・わかりやすい解説

ウェブスター

米国の政治家。雄弁家として知られ,ニューイングランドの利益の代弁者として上院で活躍。国務長官(1841年―1843年)を務め,晩年は上院の重鎮として南北の妥協による連邦維持に努力した。
→関連項目ホイッグ党

ウェブスター

米国の辞典編集者,法律家,ジャーナリスト。米国独自の最初の英語教科書を出版,後半生は辞典編集にささげ,約7万語を収める英語辞典を1828年出版,米国における以後の辞典編集に大きな影響を与えた。これを基礎としたウェブスター辞典Webster's Dictionaryが今日の米国における代表的な辞典となっている。

ウェブスター

英国の劇作家。幾つかの喜劇を共作したが,その生涯の細部は不明。今日残る単独作は悲劇《白魔》(1609年―1612年)および《モールフィ公爵夫人》(1614年)。この2作品はシェークスピアの悲劇に迫る傑作といわれ,人間の情熱の暗黒面に対する深い洞察は20世紀になってから高く評価された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ウェブスター」の解説

ウェブスター
Noah Webster

1758~1843

アメリカの辞書編集者,教育家。英語の綴り字や文法は日常会話の実際の用法に即したものにするべきであるという信念にもとづいて,綴り字(1783年),文法(84年),読本(85年)の三部作を著し,アメリカ英語の改革を行う。

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世界大百科事典(旧版)内のウェブスターの言及

【ホイッティア】より

…熱心なクエーカー教徒であり,10代ですでに詩を発表していたが,奴隷制廃止を支持する立場から新聞や雑誌の編集に従事,詩や論説を書くことにも励んだ。とくにD.ウェブスターの変節を弾劾する詩《イカボッド》(1850)は有名。しかし南北戦争後はむしろ故郷の自然や神への敬愛の思いを歌うようになり,なかでも《雪ごもり》(1866)は代表作で,ニューイングランドの雪景色を背景に,質朴で温かい農民の家庭が懐かしくもの悲しく描き出されている。…

【イギリス文学】より

…ハムレット,マクベス,リア王,フォールスタッフなど,強烈な存在感のある人物を数多く造った点でも,彼の右に出るものはいない。
[屈折と終息]
 シェークスピアの同時代人には,〈気質喜劇〉と呼ばれる卓抜な風刺劇の作者ベン・ジョンソンがいたが,ほかにも,《白魔》《モールフィ公爵夫人》のJ.ウェブスター,《復讐者の悲劇》のC.ターナー,《あわれ彼女は娼婦》のJ.フォードなど,すぐれた才能がひしめいていた。加虐,嗜虐,近親相姦といった屈折し倒錯した主題を,マニエリスム的な手法で劇化した彼らの作品には,ルネサンス末期の魂の苦悩と,痛ましい抵抗の身もだえが満ちている。…

【エリザベス時代】より

…初期の歴史劇から晩年のロマンス劇にいたるその複雑な作家的展開の過程において,言語・舞台芸術としての演劇のあらゆる可能性が試され,開花させられていると言って過言ではない。彼と同時代またはその後の劇作家には,風刺喜劇の型を確立したベン・ジョンソン,ロンドンの民情を背景にメロドラマを多作したトマス・デッカー,高揚された詩的表現を用いて迫力に富む流血悲劇を作り上げたジョン・ウェブスター,冷徹皮肉な人間性の観察者トマス・ミドルトン,純化された情念の輝きを耽美的に追求したジョン・フォードなどがいる。彼らの作品は移り変わる観客の嗜好と人気の波にもまれつつ,時に10に及ぶ数の劇場で上演され続けたが,ピューリタン革命勃発後の1642年にロンドン中の劇場が閉鎖されることになって,エリザベス朝演劇はその幕を閉じた。…

【モールフィ公爵夫人】より

…イギリスの劇作家J.ウェブスター作の悲劇。1614年初演。…

【アメリカ英語】より

…これらの現象からRPとは別の音韻体系を立てるべきである。(2)綴字 今日のアメリカ綴りは辞書の編さん者として著名なノア・ウェブスターに負うところが多い。彼は,語尾の‐ourを‐orに(favor),‐reを‐erに(center),‐ll‐を‐l‐に(traveler),gaolをjailにするなど,英語の綴りをより簡単で規則的なものとした。…

【辞書】より

…編者は,奇しくもイギリスのジョンソン博士と同姓同名のサミュエル・ジョンソンという学校教師であった。その後18世紀末から19世紀初にかけて,アメリカに特有の語や語義に多少とも注意を払った英語辞典が数種刊行されたが,ジョンソン博士のものに匹敵する本格的辞典は,すでに綴字教本等で声名の高かったN.ウェブスター編《アメリカ英語辞典》2巻(1828)である。収録語数約7万,アメリカ特有の語や語義・用法を収め,用例もアメリカ人の著作から多数引用し,合理的な綴字法を採用するなど,アメリカにおける英語辞典の先駆となった。…

【正書法】より

…(3)権威のある規範が辞書の形になっていること。イギリスでは,S.ジョンソンの辞書(《英語辞典The Dictionary of the English Language》1755)が,ドイツでは,ドゥーデンの辞書(《大ドゥーデンDer grosse Duden:Rechtschreibung der deutschen Sprache und der Fremdwörter》1934)が,アメリカでは,N.ウェブスターの辞書(《ウェブスター新国際英語辞典Webster’s New International Dictionary of American Language》第2版,1934)がつづり字統一の権威ある規範となった。 正書法の理想は,音と字との間に1対1の対応関係があることであるが,現実の正書法ではこの対応関係がくずれているのが普通である。…

※「ウェブスター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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