日本大百科全書(ニッポニカ) 「クール&ザ・ギャング」の意味・わかりやすい解説
クール&ザ・ギャング
くーるあんどざぎゃんぐ
Kool & The Gang
アメリカのディスコ・ミュージック・グループ。軽快なダンス・ビートで、日本でもディスコを中心に人気があった。ニュー・ジャージー州ジャージー・シティで結成される。
ベーシストのロバート・クール・ベルRobert “Kool” Bell(1950― )と弟のサックス奏者ロナルド・ベルRonald Bell(1951―2020)が中心となり仲間を集めてつくったジャズ系のバンド、ジャジアックスが母体である。ホーン・セクションをもったバンドとしてスタートしたが、彼らはニューヨークのクラブなどで演奏を重ね、徐々に当時の黒人バンドの新傾向であったファンク・リズムをベースとし、スライ&ザ・ファミリー・ストーンに大きく影響されたダンス・ミュージック・バンドへと変わっていった。ジャジアックスからソウル・タウン・バンドへ、次にクール&ザ・フレイムズと名前を変え、1969年にクール&ザ・ギャングとしてシングルをヒットさせた。ボーカリストとしては際立った人材はいなかったものの、乗りが良く覚えやすい彼らの音楽は、欧米の白人層や日本の若者にも受け入れられた。1970年代前半のヒット曲としては「ファンキー・スタッフ」「ジャングル・ブギー」「ハリウッド・スウィンギン」などがある。その後、ジョン・トラボルタJohn Travolta(1954― )主演の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)のサウンドトラック「オープン・セサミ」でもヒットを飛ばし、ドナ・サマーやビージーズらに次ぐディスコの人気バンドとして活躍した。
ディスコ・ブームが下火になってからの彼らの新しい路線は、ジェームズ・テーラーJames “J. T.” Taylor(1953― )のソフトなボーカルを前面に出したものだった。彼がバンドに在籍したのは1979年から10年間だったが、特に1979~1982年、ブラジル出身のエウミール・デオダートEumir Deodato(1942― )がサウンド・プロデュースを担当したことによって広範囲なファンを獲得することに成功した。この当時バンドにとって唯一の全米ナンバー・ワン・ヒット「セレブレーション」(1980)が生まれ、1980年代なかばには黒人的なカラーのほとんどない「ジョアンナ」「チェリッシュ」といったロマンチックなヒット曲も作るようになった。
その後、バンドはテーラーに代わるボーカリストを探したもののうまくはいかず、1995年には再びテーラーを迎えアルバムを作っている。
[藤田 正]