ストーン(読み)すとーん(英語表記)Isidor Feinstein Stone

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ストーン」の意味・わかりやすい解説

ストーン(Oliver Stone)
すとーん
Oliver Stone
(1946― )

アメリカの映画監督。ニューヨーク生まれ。エール大学中退。1967年、陸軍に志願入隊し、ベトナム戦争を体験。1971年、ニューヨーク大学に入学。マーティン・スコセッシ監督のもとで映画制作を学ぶ。アラン・パーカー監督の『ミッドナイト・エクスプレス』(1978)で脚本を担当し、アカデミー脚本賞を受賞したあと、1986年、ベトナム戦争を扱った監督作品『プラトーン』を発表。最前線で戦う一小隊の悲劇を描いたこの秀作で監督賞を含むアカデミー賞4部門を制覇し、一躍、世界に名を馳(は)せる。以降も、『7月4日に生まれて』(1989)、『JFK』(1991)、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994)、『ニクソン』(1995)など、力強い描写で政治や社会の暗部を照射する佳作を次々と手がけ、1980年代以降のアメリカを代表する監督として不動の地位を確立する。『7月4日に生まれて』(1989)では、二度目のアカデミー監督賞を受賞している。

[奥村 賢 2022年6月22日]

資料 監督作品一覧

サルバドル 遥かなる日々 Salvador(1986)
プラトーン Platoon(1986)
ウォール街 Wall Street(1987)
トーク・レディオ Talk Radio(1988)
7月4日に生まれて Born on the Fourth of July(1989)
ドアーズ The Doors(1991)
JFK JFK(1991)
天と地 Heaven & Earth(1993)
ナチュラル・ボーン・キラーズ Natural Born Killers(1994)
ニクソン Nixon(1995)
Uターン U Turn(1997)
エニイ・ギブン・サンデー Any Given Sunday(1999)
コマンダンテ Comandante(2003)
アレキサンダー Alexander(2004)
ワールド・トレード・センター World Trade Center(2006)
ブッシュ W.(2008)
ウォール・ストリート Wall Street : Money Never Sleeps(2010)
野蛮なやつら SAVAGES Savages(2012)
スノーデン Snowden(2016)

『フレドリカ・ホーストマン著、家田荘子訳『映画に必要なことはすべてベトナムの戦場で学んだ――監督オリバー・ストーンの記録』(1993・メディアファクトリー)』『O・ストーン他著、中俣真知子・袴塚紀子訳『JFK――ケネディ暗殺の真相を追って』(1993・テンプリント)』『ジェームズ・リオーダン著、遠藤利国訳『オリバー・ストーン――映画を爆弾に変えた男』(2000・小学館)』『O・ストーン著、田口俊樹訳『オリヴァー・ストーンの天と地』(新潮文庫)』『O・ストーン他著、池谷律代・土田宏訳『ニクソン』(竹書房文庫)』『O・ストーン他著、大田直子他訳『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史1~3』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』


ストーン(John Richard Nicholas Stone)
すとーん
John Richard Nicholas Stone
(1913―1991)

イギリスの経済学者。ロンドンに生まれる。ケンブリッジ大学で法学を学んだのち経済学に転向、1935年に卒業し、1938年に修士号、1957年に博士号を取得した。ロンドンのロイズ商会で勤務したのち、第二次世界大戦中は戦時内閣の経済スタッフとして経済統計作成に従事した。1945年ケンブリッジ大学に新設された応用経済学部の学部長に就任、1955年に財政学および会計学の教授に転じ、1980年引退、名誉教授となった。なお、1955年に計量経済学会の会長となり、また1978年にはナイトの称号を授けられている。

 ストーンは、第二次世界大戦中にJ・M・ケインズの指導のもとで、イギリスの経済活動の計測に取り組み、J・E・ミードとともに戦時金融および国民所得と支出の分析を行った。このとき彼の考案した国民所得勘定は、経済活動を計測する有用な手段として高く評価された。第二次世界大戦後の1947年には国民所得勘定の新しい試案を発表した。のちに国際連合において国民経済計算体系System of National Accounts(SNA)の国際基準づくりの指導者として活躍し、1953年にこの体系が国連によって提示された。SNAは国連加盟国に広く利用され、1968年に全面改定された。ストーンは、この新SNAの作成にもかかわっている。1984年「SNAの開発とそれに基づく実証的経済分析の基礎を大きく改善」した功績により、ノーベル経済学賞を受賞した。

[金子邦彦]

『R・ストーン、G・クロフト・マレー著、家本秀太郎・渋谷行雄訳『社会会計と経済モデル』(1964・東洋経済新報社)』『R・ストーン、G・ストーン著、城戸喜子訳『国民所得と国民支出』(1968・春秋社)』


ストーン(Isidor Feinstein Stone)
すとーん
Isidor Feinstein Stone
(1907―1989)

アメリカのジャーナリスト。14歳で個人雑誌『ザ・プログレス』The Progressを発刊、以来、新聞編集に携わる。1933年『ニューヨーク・ポスト』紙論説委員、1938年自由主義週刊誌『ネーション』編集次長に就任。1940年代には『PM』紙、『デーリー・コンパス』紙に執筆。1953年から個人新聞『I・F・ストーン・ウィークリー』を発刊、無党左派の戦闘的自由主義者として国内・国際問題を鋭く分析・批判したが、1971年末に廃刊となった。著書に『秘史朝鮮戦争』(1952)などがある。

[鈴木ケイ]

『内山敏訳『秘史朝鮮戦争』(1966・青木書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ストーン」の意味・わかりやすい解説

ストーン
Stone, Oliver

[生]1946.9.15. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の映画監督,脚本家,プロデューサー。エール大学で学んだがすぐ中退し,ベトナム共和国(南ベトナム)へ赴いて英語の教師をした。ベトナム戦争中の 1967年にアメリカ陸軍に志願した経験がその後の作品づくりに深く影響している。ニューヨーク大学で映画を専攻してマーティン・スコセッシ監督に師事し,1971年に学士号を取得。『邪悪の女王』Seizure!(1974)などのホラー映画を監督したのち,『ミッドナイト・エクスプレス』Midnight Express(1978)でアカデミー賞脚色賞を受賞した。監督業に戻ると,ベトナム戦争のトラウマ(→心的外傷)を描いた『プラトーン』Platoon(1986)でアカデミー賞監督賞を受賞した。『ウォール街』Wall Street(1987)に続き,ベトナム戦争の悪影響を扱った『7月4日に生まれて』Born on the Fourth of July(1989)で再びアカデミー賞監督賞を受賞するとともに,脚本家として 4度目のアカデミー賞候補になった。『JFK』JFK(1991),『ドアーズ』The Doors(1991)ののち,クエンティン・タランティーノ原案の『ナチュラル・ボーン・キラーズ』Natural Born Killers(1994)を監督。ほかにリチャード・M.ニクソン大統領を題材にした『ニクソン』Nixon(1995),権力と暴力の問題を描いた『エニイ・ギブン・サンデー』Any Given Sunday(1999)と『アレキサンダー』Alexander(2004),アメリカ同時テロを主題とした『ワールド・トレード・センター』World Trade Center(2006),ジョージ・W.ブッシュ大統領の半生を描いた『ブッシュ』W.(2008)などがある。

ストーン
Stone, Lucy

[生]1818.8.13. マサチューセッツ,ウェストブルックフィールド
[没]1893.10.18. マサチューセッツ,ボストン
アメリカ合衆国の最初期の女性解放論者。女性の参政権を求める女性参政権運動の草分け。1850年に行なわれた最初の全国女性権利会議の開催に尽力した。幼い頃から女性に課せられた制約について異議を唱える。聖書にある「男性には女性を支配する権利が与えられた」とする一節が正しく訳されているかどうかを確認するため,ヘブライ語とギリシア語を学ぶと宣言したほどであった(のち実際に学び,正しくないと結論づけた)。1847年にオーバーリン高等学院を卒業。その後,マサチューセッツ反奴隷制協会の講演者となり,女性の権利についても言及した。1850年代には女性の権利に関する会議を複数組織した。1855年,奴隷制廃止論者ヘンリー・ブラックウェルと結婚。結婚後も既婚女性の権利を制限する不平等な法に抗議する意味をこめ旧姓を使い続けた。1890年代まで「ルーシー・ストーナー」ということばが女性権利運動の活動家,特に旧姓を使い続ける既婚女性に対して用いられた。ニュージャージー州で 10年活動したあと,夫とともにマサチューセッツ州ボストンに移動。1869年,州ごとに女性に参政権を与えることを目的とした穏健派のアメリカ女性参政権協会を設立した。同協会は 1890年に合衆国憲法の修正を強く求める全国女性参政権協会と合併して全米女性参政権協会となった。1870年に週刊誌『ウーマンズ・ジャーナル』Woman's Journalを創刊した。(→フェミニズム

ストーン
Stone, Julius

[生]1907.7.7. ヨークシャー,リード
[没]1985.9.3.
イギリスの国際法学者,法哲学者。オックスフォード大学,リード大学などで学んだのち,ハーバード大学で学位をとり,同大学で教職についた。第2次世界大戦後はシドニー大学で国際法と法哲学を講じた。その主著『法の領域と機能』 The Province and Function of Law (1946) は広い視野に立った詳細な法哲学概説書として高く評価されている。主著としては上記の著書の改訂増補版としての3部作,『法体系と法律家の推論』 Legal System and Lawyers' Reasonings (64) ,『人間の法と人間の正義』 Human Law and Human Justice (65) ,『法と正義の社会的諸次元』 Social Dimensions of Law and Justice (66) がある。

ストーン
Stone, Nicolas

[生]1586. ウッドパリ
[没]1647.8.24. ロンドン
イギリスの石彫師。ロンドンの I.ジェームズに学び,1606年から7年間アムステルダムで彫刻家ヘンドリック・ド・カイゼルのもとで修業した。帰国後ロンドンに定住,19~22年建築家 I.ジョーンズのもとで修業し,墓廟彫刻家として名をなした。ナザブトン公ヘンリーの墓廟をはじめ,ナザブトンシャーのカレー夫人の墓,ワットフォードの C.モリソンの墓などを制作。後期の作品にはイタリア美術の影響が強い。彼は 17世紀イギリスの最もすぐれた石彫師であったが,芸術家としての地位は高くはなかった。同名の息子 (1647没) も彫刻家で,彼はおもにベルニーニのもとで制作した。

ストーン
Stone,John Richard Nicolas

[生]1913.8.30. ロンドン
[没]1991.12.6.
イギリスの経済学者。ケンブリッジ大学卒業。イギリス戦時内閣では経済官僚として中央統計局に勤務。 1945年からケンブリッジ大学フェローとなり財政学,会計学を教授,80年退官。その間 55年には計量経済学会会長,78~80年王立経済学会会長を歴任。また国連統計委員会の専門グループの中心として国民経済計算体系 (新 SNA) を開発。世界各国の経済状況を全体的に比較することを可能にした。 84年にその功績が認められノーベル経済学賞を受賞。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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