サマー(読み)さまー(英語表記)Donna Summer

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サマー」の意味・わかりやすい解説

サマー
さまー
Donna Summer
(1948―2012)

アメリカの黒人女性シンガー。1970年代に世界的なブームとなったディスコ・ミュージックで長く頂点に立った。ボストンの生まれだが、若いころからヨーロッパで生活し、それが大きなチャンスをつかむきっかけとなった。本名はラドナ・アンドレ・ゲインズLaDonna Andre Gaines。

 10代のころから歌と演劇に関心があり、地元ボストンのロック・グループに加わったりしていたが、高校を卒業後プロ・アーティストになるためにニューヨークへ移り住んだ。そこで当時社会的にも話題となっていたロック・ミュージカルヘアー』のオーディションに合格する。彼女がキャストの一人となった『ヘアー』はヨーロッパ公演用で、1968年渡欧。ドイツ人を中心とするメンバーと公演を続けながらウィーン・フォルクスオーパー(ウィーン・フォーク・オペラ)などにも参加し、また活動の拠点となっていた旧西ドイツで結婚するなど、サマーは実質的にヨーロッパのシンガーとなった。ちなみに彼女の姓は、夫のヘルムート・ゾンマーHelmut Sommerの姓をSummerと変え、英語読みしたものである。

 1974年、彼女に大きな転機が訪れる。それはイタリア人のプロデューサーソングライターであるジョルジオ・モロダーGiorgio Moroder(1940― )と知り合い、レコード制作を始めたことだった。「ザ・ホットステージ」「レディ・オブ・ザ・ナイト」は西ヨーロッパ全域でヒットし、そして1975年、ディスコ・ブームの記念碑的一曲「ラブ・トゥ・ラブ・ユー・ベイビー」が発売されるに及んで、彼女のセクシーな歌声は、アメリカや日本にまで知れわたるようになったのである。

 サマーとモロダーのコンビは、ヨーロッパ系ディスコ・ミュージックが広大なマーケットをもつことを明らかにした。彼らのサウンドは、複合的なリズムポリリズム)を基本とするアメリカ黒人のファンク・ミュージックの流れにはあるものの、多くはエレクトリック・サウンドに移し替えられ、より簡素化されたものであった。「ラブ・トゥ・ラブ・ユー・ベイビー」は1曲が16分48秒もあったが、このような一つの象徴的なリズム・パターンや魅力的なフレーズを延々と繰り返すという手法は、ディスコという特別な空間にぴったり合い熱狂的に受け入れられた。

 この時期に、ディスコで流れるダンス・ミュージックには、アメリカ黒人によるファンク系と、サマーらに代表されるヨーロッパ・エレクトリック系との、大きく分けて二つの道筋ができ上がった。ヨーロッパ系ではスウェーデンアバ、旧西ドイツのボニー・Mがそれにあたる。オーストラリア出身のビージーズも、このような分かりやすいダンス・ビートがどれほどの人気があるかを、身をもって示したグループである。

 「ディスコ・クイーン」の称号のもと、サマーは1970年代後半以降立て続けにヒットを放っていった。「トライ・ミー」や、本格的なエレクトリック・ディスコのメジャー・ヒットとして知られる「アイ・フィール・ラブ」、バーブラ・ストライサンドとのデュエット「ノー・モア・ティアーズ」などがその一部である。

 1980年代に入り、ディスコ・ブームが去ったあともサマーの人気は続き、モロダーからクインシー・ジョーンズにプロデューサーを変えた1982年のアルバム『ドナ・サマー』も話題を呼んだ。「ディスコのドナ・サマー」という大きなレッテルと関わりなく、その後も彼女は断続的にヒットを飛ばし、1997年に再びモロダーと組んだ「キャリー・オン」は、グラミー賞の「ベスト・ダンス・レコーディング賞」に選ばれている。

[藤田 正]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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