日本大百科全書(ニッポニカ) 「グラノーフスキー」の意味・わかりやすい解説
グラノーフスキー
ぐらのーふすきー
Тимофей Николаевич Грановский/Timofey Nikolaevich Granovskiy
(1813―1855)
ロシアの歴史家。モスクワ大学卒業後、官吏になったが、歴史学の研究を志してドイツに留学、ランケらの講義を聴いた。この時期、スタンケービチの影響下にヘーゲル哲学に接する。帰国後はモスクワ大学教授としてヨーロッパ史を講じ、一連の公開講義によって当時の知識社会で多大な名声を博した。スラブ派と西欧派との論争では西欧派の立場にたち、スラブ派によるロシアの歴史や文化の理想化を批判した。自由主義的な信条をもっていたが、急進的な議論を展開することはなく、人間的、文化的価値を尊重するヒューマニストとして、ロシア社会の進歩を求めた。当初の学問的構想を十分に結実させることなく、クリミア戦争の最中に没した。
[竹中 浩]