スラブ派(読み)スラブは(その他表記)slavyanofil'stvo
slavofily[ロシア]

改訂新版 世界大百科事典 「スラブ派」の意味・わかりやすい解説

スラブ派 (スラブは)
slavyanofil'stvo
slavofily[ロシア]

19世紀ロシアの国粋的思想潮流とこれに属する人々をいう。ナポレオン戦争後の民族主義とドイツ・ロマン主義の影響のもとにはぐくまれ,直接的にはチャアダーエフの《哲学書簡》(1836)をめぐる論争の過程で形成された。この派のおもな思想家はキレエフスキー兄弟,A.S.ホミャコーフアクサーコフ兄弟サマーリンYurii Fyodorovich Samarin等で,彼らの論敵は西欧派と呼ばれた。1840年代の初頭から50年代にかけて,二つの陣営西欧とロシアの文化的特質,ロシア文化の自立性,世界史の中でのロシアの役割等の問題に関して,各種のサロンを中心に議論をたたかわせた。

 スラブ派はロシアと西欧の根本的差異ロシア正教カトリックとの違いに求め,後者の合理主義・汎論理主義・法治主義が人間理性への過信許し,個人主義・無神論・物質主義を招来し,その結果,西欧社会は信仰共同体としてのかつての有機的統一性を失い,また神を見失った諸個人は内面的分裂に悩むにいたった,と主張した。他方彼らは理性の専横を排し神への恭順を旨とする正教信仰をロシア精神の本質とみなし,共通の信仰を内的きずなとした共同体的生活原理が,ピョートル大帝の欧化政策にもかかわらず農村共同体の中に保持されていると考え,ピョートル以前のロシアに立ち返ることにより社会の一体性と人格の全一性とを回復するように訴え,ここにロシアの世界史的使命があると説いた。家父長的な人間関係を理想とした彼らは,ツァーリの支配そのものは認めたが,西欧的な官僚支配には批判的であったため,時の政府からは常に迫害を被り,彼らが依拠していた《モスクワ人》誌は停刊を命ぜられ,I.V.キレエフスキーをはじめ,おもな思想家たちも沈黙を強いられた。中世的調和への郷愁を基調とする彼らの思想には,ドイツの保守的ロマン主義と共通点が多く,概して,近代市民社会の暗黒面を目のあたりにした,後発的資本主義国に固有な復古的ユートピアの一種と規定することができる。そのため,農奴解放後のロシアが資本主義への道を本格的に歩みはじめると,この思潮は反資本主義のイデオロギーとしての性格を失い,リベラリズム(サマーリン)やパン・スラブ主義(I.S. アクサーコフ,N.Y. ダニレフスキー)へと転化し,他方,スラブ派本来の性格を保持しようとした部分はドストエフスキーらの大地主義(ポーチベンニチェストボ)やK.N.レオンチエフの極端な反動主義へと分岐していった。しかし,反西欧・反合理主義・反近代というスラブ派のモティーフは近代文明の危機が叫ばれる折から,今なお存在理由を失ってはいない。なお,ロシアの反体制知識人の中には,ソルジェニーツィンを筆頭として,新スラブ派と称される潮流があり,その動向が注目されている。
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百科事典マイペディア 「スラブ派」の意味・わかりやすい解説

スラブ派【スラブは】

ロシア語slavyanofil'stvo,slavofilyの訳。19世紀ロシアの国粋的思想運動の担い手の称で,西欧派に対する。キレエフスキー兄弟,ホミャーコフ,アクサーコフ兄弟らが主な論客。ロシア正教とピョートル大帝の欧化政策以前の土着的一体性への復帰を唱える。パン・スラブ主義ナロードニキ運動,ドストエフスキーの大地主義やソルジェニーツィンの思想も同派の延長線上にある。
→関連項目チャアダーエフミール

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スラブ派」の意味・わかりやすい解説

スラブ派
すらぶは

スラボフィル

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スラブ派」の意味・わかりやすい解説

スラブ派
スラブは

「スラブ主義」のページをご覧ください。

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