山川 世界史小辞典 改訂新版 「コソヴォ」の解説
コソヴォ
Kosovo[セルビア],Kosova[アルバニア]
セルビア共和国の南部に位置する自治州。アルバニア人が人口の90%以上を占める。12世紀末,中世セルビア王国がビザンツ帝国支配下にあったコソヴォを領有し,以後,1455年にオスマン帝国の統治下に置かれるまで,プリズレンが中世セルビア王国最盛期の首都となり,ペーチにはセルビア正教会の総主教座が置かれた。セルビア人にとって,コソヴォは揺籃の地という意識が強い。17世紀末から18世紀初め,セルビア正教会総主教に従ったおよそ7万家族のセルビア人がオスマン帝国の統治を嫌い,数度にわたってハプスブルク帝国領に移住。ムスリムに改宗したアルバニア人が空白地帯となった土地に入植させられ,コソヴォの多数者となった。19世紀後半,コソヴォはアルバニア人の民族運動の中心地となり,プリズレン連盟が結成。アルバニア人にとっても,譲れない土地となる。第1次バルカン戦争後,コソヴォは独立を認められたアルバニアに組み込まれずに,セルビア王国に編入され,第一次世界大戦後はユーゴスラヴィア領。第二次世界大戦後,ユーゴスラヴィア連邦のセルビア共和国に属する自治州となるが,アルバニア人の権利拡大要求が繰り返された。旧ユーゴ解体後,1998年にコソヴォ紛争が生じ,99年にはNATO(ナトー)軍のユーゴ空爆が実施された。和平合意後,コソヴォは安保理決議でセルビアの領域とされたが,実質的には国連の暫定統治下におかれて自治政府が形成された。2006年,コソヴォの独立を認めるか否かの当事者間の交渉が開始された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報