コロコル(その他表記)Kolokol

改訂新版 世界大百科事典 「コロコル」の意味・わかりやすい解説

コロコル
Kolokol

ロシアの思想家ゲルツェンオガリョフの共同編集による月2回発行の新聞。〈鐘〉の意。1857年ロンドンで創刊,65年以降はジュネーブ刊行,さまざまな非合法的なルートを経てロシア国内に搬入された。最盛時の発行部数は2500で,ときにはツァーリの机の上にまで達した。検閲を受けない唯一のロシア語の刊行物として,農民の土地付き解放や言論の自由,体刑の廃止等を主張し,農奴解放前後のロシアの世論に大きな影響力をもった。63年のポーランドの一月蜂起以後はロシア国内の保守的世論から孤立,67年7月,245号をもって休刊となった。その後フランス語版として復刊した(1868)が,1年と続かなかった。ゲルツェンの死後,オガリョフとS.G.ネチャーエフにより刊行が継続されたが,70年に6号をもって廃刊となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コロコル」の意味・わかりやすい解説

コロコル
Kolokol

『鐘』。 19世紀後半期のロシアの革命的新聞。 1857年「デカブリスト後継者」 A.ゲルツェン,N.P.オガリョフらによってロンドンで創刊された。初期ナロードニキ傾向をもつ。

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世界大百科事典(旧版)内のコロコルの言及

【キエフ・ロシア】より

…しかし,賛否の叫び声の大きさで審議を進めるような古い部族集会のなごりもあって,複雑化する都市生活には対応しきれず,貴族・大商人の介入・操作がしだいに強まり,13世紀以降の民会は,支配的な一族・党派間の党争や武力衝突の場に転化することが多くなった。専制君主を自称したイワン3世は,15世紀末のノブゴロド征服の折に民会の鐘を撤去してしまうが,鐘の記憶は詩歌や伝承のなかに生きつづけ,ロシア史における自由と民主主義の原点となった(19世紀半ばのゲルツェンらによる解放運動機関誌《コロコル(鐘)》の名もこれに由来する)。 キエフ時代にまとめられた《ルスカヤ・プラウダ(ロシア法典)》の最古の部分には,部族社会の解体を示すかのような,近親者の復讐権を制限して賠償金で代用させる条項なども見受けられるが,その大部分は社会における身分差の増大と商品貨幣経済の浸透を暗示する条項である。…

※「コロコル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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