オガリョフ(その他表記)Nikolai Platonovich Ogaryov

改訂新版 世界大百科事典 「オガリョフ」の意味・わかりやすい解説

オガリョフ
Nikolai Platonovich Ogaryov
生没年:1813-77

ロシア詩人ジャーナリストゲルツェン終生の友。モスクワ大学在学中フランス社会主義思想を学ぶ。1834年に反政府的言動のかどで逮捕・流刑された。56年以降はロンドンでゲルツェンの出版活動に協力,《コロコル》誌を舞台として農民の土地付き解放を主張して初期のナロードニキに影響を与えた。秘密結社〈土地と自由〉の名称と綱領は彼の論文に多くを負っている。自領の農民を無償で解放したことでも知られる。連作モノローグ》(1847)等で憂愁を含んだロマン主義的作品を数多く書き,40年代を代表する詩人の一人に数えられている。ツルゲーネフは《貴族の巣》の主人公ラブレツキーにオガリョフの経歴と風貌とを与えた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オガリョフ」の意味・わかりやすい解説

オガリョフ
おがりょふ
Николай Платонович Огарёв/Nikolay Platonovich Ogaryov
(1813―1877)

ロシアの詩人、革命的民主主義者。11月24日、富裕な地主貴族の子として生まれる。少年時代にゲルツェンを知り、2人の友情は生涯続いた。1830年モスクワ大学に入学、ゲルツェンらとフランスの空想的社会主義を研究するサークルをつくったが、1834年逮捕され、4年間の流刑に処せられた。1856年国外へ脱出し、翌1857年ロンドンでゲルツェンとともに自由ロシア出版所を設立、革命的な新聞『鐘(コロコル)』を出版して、専制農奴制を攻撃した。詩人としては叙情的な作風なかに自由と民主主義を求めた。1877年5月31日ロンドン郊外に没したが、その遺骨は1966年3月モスクワに移された。

[外川継男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オガリョフ」の意味・わかりやすい解説

オガリョフ
Ogarëv, Nikolai Platonovich

[生]1813.12.6. ペテルブルグ
[没]1877.6.12. イギリス,グリニッジ
ロシアの詩人,評論家,革命運動家。裕福な地主の家庭に生れ,1825年のデカブリストの蜂起に強い衝撃を受け,政治思想の方向を決定した。 32~33年モスクワ大学に学び,親友の A.ゲルツェンとともにユートピア社会主義に傾倒したが,1830年代の終り頃には唯物論に傾斜していった。 34年と 50年の2回にわたり,革命運動に参加したかどで検挙され,シベリアへ流刑。 56年ロンドンへ亡命,ゲルツェンとともに雑誌『北極星』 Polyarnaya zvezda (1855~69) ,定期紙『鐘』 Kolokol (57~67) を発行,革命的な詩を連載したり,ロシア向け革命文書を発行するなどの活動を行なった。おもな詩作品に『居酒屋』 Kabak (41) ,『百姓家』 Izba (42) ,『モノローグ』 Monologi (44~47) ,『自由』 Svoboda (58) がある。

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