改訂新版 世界大百科事典 「コンスタンティウス2世」の意味・わかりやすい解説
コンスタンティウス[2世]
Constantius Ⅱ, Flavius Julius
生没年:317-361
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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317~361(在位337~361)
ローマ皇帝。コンスタンティヌス大帝の子。324年副帝となり,大帝のあと帝位を継ぎ,帝国東部を統治した。外はサーサーン朝と戦い,国内では帝位の対立者を処断した。キリスト教会の問題にしばしば干渉を加えた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…蕃族の出身でローマ軍に入隊して頭角を現して将軍となったが,350年,アウグストドゥヌム(現,オータン)で反乱を起こし,コンスタンス帝を殺させ,皇帝を僭称し,ガリアを中心とする帝国西部を支配した。しかし財政政策の失敗,異教徒優遇策などによりコンスタンティウス2世と対立し,351年ムルサの戦に敗れ,2年後,ガリアで自殺した。【秀村 欣二】。…
…283年にはさらにカリヌス(在位283‐285),ヌメリアヌス(在位283‐284)が立ったが,ディオクレティアヌス(在位284‐305)の即位をもって,混乱の軍人皇帝時代は終わる。
[第4期――専制君主政期(284‐395)]
ディオクレティアヌスは統治と防衛をより効果的なものにするために,帝国を4分割し,自分とマクシミアヌスの2人を正帝とし,ガレリウスとコンスタンティウスを副帝とする四分治制(テトラルキア)を敷いた。彼の自発的退位(305)に際して再び起こった内乱のなかからコンスタンティヌス1世とリキニウスが勝ち残り,再度(313,314)の内戦ののちコンスタンティヌス1世が単独皇帝として残った(在位306‐337)。…
※「コンスタンティウス2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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