コンスタンティノス7世(英語表記)Kōnstantinos Ⅶ, Porphyrogennētos

改訂新版 世界大百科事典 「コンスタンティノス7世」の意味・わかりやすい解説

コンスタンティノス[7世]
Kōnstantinos Ⅶ, Porphyrogennētos
生没年:905-959

ビザンティン皇帝。在位913-959年。父レオ6世の死後(912)即位した叔父のアレクサンドロス帝がブルガリア戦で戦死した後8歳で即位。その後母ゾエ摂政(919まで),舅の共同皇帝ロマノス1世(944まで)の政権が続き,彼が名実ともに皇帝となったのは945年である。こうした境遇外政内政がともに比較的平穏であったこともあって,彼は文芸活動を特に好み,マケドニア・ルネサンスと呼ばれる文芸復興運動の中心人物の一人となった。彼自身百科全書派的知識人として筆を執り,《バシレイオス1世伝》《わが息子ロマノスへ(通称,帝国統治論)》《テマ制度について》《ビザンティン宮廷の儀式について》等の著作を残した。コンスタンティノープルの大学を整備し,多くの学者を集め古代以来の諸文芸作品の整理・収集を奨励した。医学・農学・動物学百科事典,古今の歴史書を渉猟し53テーマを選んで作った抄録集《史書抜粋》が編集された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のコンスタンティノス7世の言及

【ビザンティン文学】より

…最も正確にある話を人前で述べ,何かを叙述し,一命題について賛成,反駁を行い,一つのメンタリティになりきって考え,個々の主題を根拠づける等々の諸形式にのっとって作文を書かせる,プロギュムナスマタprogymnasmataと呼ばれた数多くの下稽古作品には,凡庸な大多数の綴方に交じって,ギリシア神話に題材を求めた,バシラケスNikēphoros Basilakēs(1115‐80ころ)の《一頭の牡牛に熱愛されてパシファエは何といったか》のような性的倒錯症を思わせるものや,風呂好きの享楽主義者である一府主教を取り上げた,エウスタティオス(12世紀)の《モキッソス府主教は,恩人である至聖の総主教ミハエルの死去の翌日に入浴中,大オイコノモス職のパンテクネスの指令により,ベッドカバー,湯上りタオルその他が取り上げられ,まちの貧乏人たちに施物として与えられたとき,何といったか》のような実話もどきのものも含まれている。修辞学の技術を最高度に駆使した代表的なジャンルが,皇帝や国家・教会高官にささげられた,エンコミアenkōmiaと呼ばれた数多くの賛美演説,その反対の,プソゴスpsogosと呼ばれた非難演説(なかでも興味ある一事例は,皇帝ユリアヌス作のアンティオキア市民に対する《ひげ嫌い》の作品),墓碑銘と弔辞,その他の機会の演説,君主の鑑(たとえば,アガペトスがユスティニアヌス1世に,オフリト大主教テオフュラクトスがドゥカス家のコンスタンティノスに,ニケフォロス・ブレミュデスが弟子たる若き皇太子テオドロス2世ラスカリスに,マヌエル2世が後継者たる子のヨハネス8世にあてたもの),自伝(リバニオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ミハエル8世,キュドネス・デメトリオス),都市や教会の描写(テオドロス・メトヒテスのコンスタンティノープル,パウロス・シレンティアリオスのハギア・ソフィアなど)などである。
[歴史叙述]
 ビザンティン帝国の歴史はそのほぼ全期間がプロコピウスプセロスアンナ・コムネナ,ニケタス・ホニアテスNikētas Chōniatēs(1155ころ‐1215∥16),ヨハネス6世カンタクゼノスIōannēs VI Kantakouzēnos(在位1341‐54)その他の史書や,歴史の主人公でもある皇帝,皇子,皇女,高官などの自身による同時代史叙述によっておおわれている。…

※「コンスタンティノス7世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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